国際年鑑2021 WEB版
エストニア特集・韓国特集・戯曲『楽屋のお掃除』・香港特集
国際演劇交流セミナー 2021年鑑
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ごあいさつ
日本演出者協会 国際部長
佐川大輔
今年の年鑑の挨拶文を書くために、まず、昨年の年鑑の挨拶をチェックしました。
その書き出しはこうでした。
“やはり 2020 年度の事業はコロナ抜きには語れません。国際部の事業は「国際交流」が主となります。演劇ですらままならないのに、対面型の国際交流は言わずもがな。具体的な苦労としては、企画の大幅変更、予算の見直し、不慣れなオンライン運営、そして、感染症への対策などなど。まさに過大な制作負担でした。”
昨年のこの書き出し、今年も全く一緒の気持ちです。2022 年 1 月下旬にこれを書いていますが、この時点でコロナ感染者数は東京では 2 万人が目前、収束する気配はありません。よもや 1 年経っても、状況がこれほど変化しないとは思わなかったのが、正直なところです。見通しが甘いといえるかもしれませんが、もう少し改善しているだろうと期待していたのです。
予定していた企画は全てオンライン実施になりました。当然ですが、企画担当者は企画や予算の見直しや変更をしなくてはならず、昨年の挨拶にも書かれているように「過大な制作負担」を強いられました。また、講師側も自国や日本のコロナの状況を見据えながらの対応で、様々な負荷がかかったことと思います。そんな厳しい状況下、企画を中止せず、何とか実施してくれた関係各位の皆様には、改めて御礼を申し上げます。
さて、2021 年度は 3 つの企画を実施しました。10 月下旬には「エストニア特集 エストニア演劇を知る ~歴史と現在~」を開催。講師には、シアター NO99 のティート・オヤソー氏と、エネリース・センペル氏を迎えました。お 2 人は対面によるワークショップに拘っており、「オンラインならば、レクチャーくらいしかできない」ということで、彼らの活動紹介を中心にしてもらいましたが、豊富な映像資料を開示してもらい、かなり刺激的な内容のセミナーになりました。エストニアは正直、あまり馴染みのない 国でしたが、実は IT 先進国であることや、演劇にも力を入れており、質の高い演劇があるということもよくわかりました。
11 月下旬には「韓国特集 韓国を知り、日韓演劇の未来を探る 第 2 弾」を。こちらは国際部の「韓国特集は継続したい」という方針のもと、韓国演劇協会の協力を得て、日韓の演劇の街である大学路と下北沢を結んだオンラインセミナーを実施。若手演出家のソ・ジヘ氏と、オ・セヒョク氏からお二人の活動と韓国の現代演劇事情などを聞きました。また最終日には、オ・セヒョク氏が、清水邦夫の『楽屋』から想を得た戯曲『楽屋のお掃除』のリーディングを行いました。日本側でリーディングをし、韓国側の作家が見守るというオンラインリーディング発表の挑戦でした。韓国とは今後もオンラインを活用し、より気軽に交流を行いたいと考えています。
12 月中旬には「香港特集 アンドリュー・チャンのディバイジングシアター ~地図のない冒険~」を実施。講師は昨年に引き続き、アリス劇場実験室の芸術総監督アンドリュー・チャン氏。2 年連続のオンライン実施でしたが、講師のたっての希望もあり、6 日間に及ぶ創作ワークショップとなりました。「三島由紀夫」のテクストをベースに、ディバイジングという集団創作の手法を実践しました。参加者は討論や個人の発表を行いながら、最終日には講師がそれらをまとめた創作の発表を試みました。今回は、東京と京都と香港の 3 会場を繋ぎ、最終日に東京と京都の離れた参加者のパフォーマンスを相互関連させて発表をするという新たな挑戦でした。
まだまだコロナによる生活制限は続きそうな気配がします。海外との交流も厳しいでしょう。この年鑑には、エストニア、韓国、香港の息吹が詰まっています。どうぞ異なる文化や考えに触れることで、皆様の活動の助けや刺激になることを願っています。
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エストニア特集
長く続いてきた「国際演劇交流セミナー」で、“未知なる国との出会い” を企画したいと考え始め、東欧とも北欧とも言えるバルト海沿岸の国に思いを馳せたのはまだ2019 年秋の初め、2020 年春から猛威を振るい始める新型コロナウイルス感染症の影も形も無い頃でした。それまでは芸能花伝舎にある協会事務所に集まっていた国際部の会議も、2020 年4 月にはオンライン会議となりました。令和2 年(2020 年)度の定例総会(8 月末)も初のオンライン総会となり、都内では舞台芸術を教える大学での実践科目ですら、軒並みオンラインに移行していきました。
次年度の事業を決定する秋には、2020 年度の「国際演劇交流セミナー」2 企画ともオンラインでの実施と決定。それでも2021 年度のエストニア特集は、講師の強い希望から対面での実施を目標に企画を進めていました。不確かさが立ちはだかり、常に“プランB” を横において考えていかなければならない企画運営は、それまでの経験と比べても、ストレスフルで煩雑な行程でした。
対面での実施における最大の障害は、水際対策と呼ばれる、日本入国時の隔離(quarantine)でした。
2021 年はエストニア共和国がソビエト連邦から独立を回復した1991 年から30 周年という記念の年、またエストニア・日本友好100 周年という年でした。1921 年(大正10 年)、日本はエストニアを国家承認し、外交関係を樹立したといいますから、その歴史は意外にも長いのでした。
日本・エストニア友好協会の方を通じ、長く駐日大使を務められたヘイキ・ヴァッラステ氏を紹介して頂き、日本語も話されるヘイキさんと、先ずスカイプでお話するとこらから始まりました。「エストニアの舞台芸術を牽引する現代の代表的な演出家」をご紹介ください、と依頼したところ、日本のことも良くご存知のヘイキさんがため
らいなく推薦してくださったのが、今回の2 名の講師、ティート・オヤソー氏とエネリース・センペル氏でした。
そこからほぼ1 年の準備期間中、ヨーロッパはロックダウン、日本国内は緊急事態宣言の発令と、演劇にとっても危機的状況がありました。日本の演劇もオンライン配信、映像録画配信など、コロナ禍での新しい模索が続きました。日本政府の使節団が派遣されるほどのIT 先進国と謳われるエストニア共和国では、どの様な方策があるのかも興味の対象でした。
今回のオンラインレクチャーでは、講師が通訳者の選定に拘り、現地から推薦されました。会議ツールのZoom を用いたレクチャーですが、講師と通訳者は同じ空間にいること、実際のレクチャーの時間内において、通訳の時間を圧縮するため、事前に周到な準備を行うことに留意してくださいました。
彼らが芸術監督を務めた、国営の「シアターNO99」の活動を軸に、エストニア演劇の歴史と今を語っていただきました。細分化された映像資料のリンクを予め参加者の方に共有していただき、セミナー中に視聴タイムを設け、同時に各々の参加者が各自リンクにアクセスして映像を視聴するというやり方も、新しい試みだったと思います。実行委員サイドも同一空間でパネリストを交えて集合し、昨年に引き続きオンライン実施経験者によるテクニカル面の協力体制も整えました。
2 日目の特集、シアターNO99 による政治的プロジェクト『統一エストニア』の紹介は、まさに選挙期間中だった日本の我々にとって、かなり刺激的なものでしたし、3 日目に紹介された即興によるリハーサル風景では、スズキ・トレーニング・メソッドの影響などを見ることもでき、興味深いものでした。
オンライン実施が無事終了し、ライブで参加できなかった方々にもこのレポートを通じてエストニア演劇の一部を知って頂けたらと思います。最後にエストニアと日本の関係を年表にまとめたサイトなどをご紹介しておきます。
「エストニア・日本友好100 周年」
https://tokyo.mfa.ee/ja/100-2/ (駐日エストニア共和国大使館)
日本・エストニア友好協会
https://j-efa.com/
企画担当 山上 優
「 エストニア演劇を知る 〜 歴史と現在 〜 」
本来はエストニアから講師を招き、対面にてワークショップを行う予定だったが、新型コロナウイルス蔓延により来日は厳しく、今回は、オンラインに変更しての開催となった。
フィンランドの南、ロシアの西に位置し、バルト海に面する北欧の国、エストニア。
これまで知る機会の無かったエストニアの演劇について、タリン市内の現地からオンラインで発信される3 日間のレクチャーを行った。
参加者は、日本全国および海外からと幅広く、オンラインの特性を活かしたセミナーとなった。
【in 東京】
会場:ゴコクジスタジオ
【in エストニア】
会場:元NO99 オフィス
10 月28 日(木)18:30 ~ 22:00
・シアターNO99 設立当時のエストニアおよびヨーロッパ演劇事情。目標と方法論。
10 月29 日(金)18:30 ~ 22:00
・NO99 の政治的プロジェクト『統一エストニア』とは。
10 月30 日(土)18:30 ~ 22:00
・物語からではなくテーマ(主題)に基づく作品の作り方。
・NO99 の稽古(リハーサルメソッド)・最終目的としてのartistic images- 芸術的表象。
講 師:ティート・オヤソー/ Tiit Ojasoo
1977 年生。演出家、映画監督、シアターNO99 芸術監督。エストニア音楽・演劇アカデミーで演出を学び2000 年に卒業。エストニアの最も著名な舞台演出家の一人として広く認知されている。大半はセンペルと共にオリジナル作品を創作するが、シェイクスピア、トム・ストッパード、エドワード・オールビー、コルテスやジャリなどの作品にも取り組んでいる。センペルとの最近の作品では、ソログープ、ブルガーコフやドストエフスキーの小説の舞台化も試みている。
講 師:エネリース・センペル/ Ene-Liis Semper
1969 年生。演出家、ドラマトゥルク、映像作家、インスタレーション作家、シアターNO99 芸術監督。1995 年エストニア芸術アカデミー卒業後、現代演劇、オペラ界で幅広く活動。舞台芸術分野のみならず、ビデオやインスタレーションの芸術家として、ヴェネツィア・ビエンナーレ、ヨーロッパ現代美術ビエンナーレ(Manifesta) など数多くの芸術祭等で国際的に高く評価されている。作品は、重いテーマとアイロニーの二重性が知的に計算されたバランスで表現されている。彼女の学際的な数々の経験は、シアターNO99 をはじめとする演劇活動の基盤となってきた。
パネスト寄稿文
国際展示プラハ・カドリエンナーレ、
WSD(ワールドステージデザイン)について
佐々波雅子(パネリスト)
今回のエストニア特集の講師ティート・オヤソーさんとエネリース・センペルさん率いる劇団、シアターNO99は4年に1度チェコのプラハで開催される国際舞台美術展示、プラハ・カドリエンナーレ2015(PQ2015)において、今回紹介された『統一エストニア(Unified Estonia)』で最高賞となるゴールデントリガー賞を受賞しました。 「舞台美術のオリンピック」とも言われるプラハ・カドリエンナーレは世界最大級の舞台美術の祭典です。
プラハ・カドリエンナーレとは
1967年からチェコ共和国の首都プラハで、世界70ヶ国以上の国々から演劇、ダンス、オペラ、パフォーマンスアートや新たに生まれた舞台芸術などのさまざまなジャンルのスタッフワーク(舞台美術・照明・音響や建築も含む)が一堂に集まり、4年に1度、発表を行う国際的なイベントです。
会場内は、国と地域の展示・学生展示・その他共同体など参加団体に各々のエリアがあり、期間中、そのエリアで独自の企画に基づき、模型展示や写真・映像作品・パフォーマンスなどで各団体の成果が発表されます。また各賞も設定されています。中国、台湾、香港もそれぞれ参加していることから“国と地域”の展示とされています。
日本の参加はプラハ・カドリエンナーレの前身である第6回サンパウロ・ビエンナーレ(1961年)の舞台美術部門まで遡り、前回のプラハ・カドリエンナーレ2019開催まで14回連続して参加しています。日本舞台美術家協会が中心となり日本代表としてナショナルブース展示、学生ブース展示をしています。
シアターNO99が最高賞ゴールデントリガー賞を取った2015年第13回プラハ・カドリエンナーレ(PQ2015)は6月17日~28日に渡って開催され、世界78ヶ国、約6,000人の舞台芸術関係者が参加し、来場者は5万人を超えました。
その4年前、2011年第12回プラハ・カドリエンナーレ(PQ2011)では、ゴールデントリガー賞はブラジルの「ブラジル全国展示会」キャラクターとフロンティア:ブラジルの舞台美術の領域が受賞しています。
ブラジルの文化的人物や文学などと舞台美術、視覚芸術、大衆文化を混ぜ合わせ、これぞブラジルと言い切ったみごとな空間でした。ピンク色の塗料を素朴な方法で塗った木材の壁に様々な物語がインスタレーションとして提示されています。キュレーターのアービー・コーエンさんは現在OISTATのプレジデント(2021年~)です。
2019年第14回プラハ・カドリエンナーレ(PQ2019)では、ゴールデントリガー賞は北マケドニア共和国の「この建物は真に
語る」が受賞しました。長い年月にまつわる建物の話で、その建物で起きたことを語り、美術で見せています。写真はボードが倒れ、語りの人は四角いコンクリートの窓のような穴から話しているところです。
2017 年7 月に台湾にてWSD(ワールドステージデザイン)2017が開催される前の催しとして、OISTAT(劇場芸術国際組織)台湾本部(台北)とTainaner Ensemble( 台南人劇團)が主催する「芸術と政治:シアターNO99のアプローチ」が2017年2月5日にあり、シアターNO99は基調講演とパネルディスカッションも行いました。このイベントには、政治学、舞台芸術、演劇家など、167人が集まり、さまざまな視点が議論に加わっています。
WSD(ワールドステージデザイン)とは
OISTAT(劇場芸術国際組織)が4年ごとに開催する世界35ヶ国以上の国が参加する10日間の舞台芸術の祭典です。プラハ・カドリエンナーレは国と地域のブース展示に対して、WSDは舞台芸術のすべてのデザイナーが個人の作品で申し込みできる国際審査員による国際コンペティションであり審査を通過した入選作品の展覧会になります。
第1回WSD2005 カナダ、トロント
第2回WSD2009 韓国、ソウル、
第3回WSD2013 UKウェールズ、カーディフ、
第4回WSD2017 台湾、台北(10日間で71ヶ国から、来場者は15,000人を超える)
第5回WSD2022 カナダ、カルガリー (開催が2021年から延期され、2022年8月6
~16日にカルガリー大学で開催予定)
OISTAT(劇場芸術国際組織 Organisation Internationale des ScénographesTechniciens et Architectes de Théâtre)とは
劇場に関する唯一の国際機関であり、舞台美術、劇場建築及び劇場技術関連事項に関する知識と実務の国際交流を促進し、支援することを目的として、1968年の創立50年余りに及ぶ活動を展開。現在の世界の加盟支部は51国に及んでいます。1968年6月にカナダ、西ドイツ、東ドイツ、イスラエル、チェコスロバキア、ハンガリ-、USAの7ヶ国の出身者7名がそれぞれの国の既存の劇場技術組織を統合して、国際組織としてのOISTATを設立し、本部事務局をチェコスロバキアのプラハに置く。現在、本部事務局
は台湾の台北。日本では1976年にOISTAT日本センターを設立。
JATDT(日本舞台美術家協会)は劇場芸術国際組織OISTAT日本センターの法人会員でありJATDTの国際交流委員会委員長はOISTATの団体理事となります。
上記に挙げた国際関連の催し物は6月~8月に行わることが多く、欧米の夏の長期休暇に合わせて開催されています。私が文化庁在外研修をしていた研修先のルーマニア、ブランドラ劇場(市営劇場)も6月終わりから9月頭までクローズしていました。しかし、日本の場合、演劇関係者には夏の季節に長期休暇が無いのが通例で、参加準備をするのはなかなか厳しく国際展示を見に行くことすらできない事もあります。
今回のセミナーで紹介されたシアターNO99の作品は質もアート性も高く舞台美術の範囲に留まらず現代美術、インスタレーションとしても魅せられます。
国際的に活躍しているシアターNO99が2022年夏に来日して開くワークショップが今からとても楽しみです。
パネリスト:佐々波雅子(舞台美術家)
東京生まれ。舞台美術家(舞台装置、舞台衣裳プランナー)。
東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。
一般社団法人日本舞台美術家協会(JATDT)東日本支部長、国際交流委員長。
OISTAT 劇場芸術国際組織日本センター 理事(団体代表)。
舞台美術家、島川とおる氏に師事。1991 年よりフリーとなり、演出家、藤田 傳氏の率いる「劇団1980」の舞台装置、衣裳プランを中心に活動展開。
2009 年 ワールドステージデザイン2009(韓国)入選
2011 年 第38 回伊藤熹朔賞奨励賞
2015 年 文化庁在外研修員として渡欧(ルーマニア、ブランドラ劇場)
美術家・建築家オクタヴィアン・ネクライ氏に師事
2021 年 第28 回カイロ国際実験劇場フェスティバル(CIFET)
シアターデザイン国際展示会入選
ゲスト寄稿文
エストニアの歴史と今
ハッラステ・ポール(ゲスト)
◆ エストニアの歴史
紀元前8500年ごろ:エストニアの領土に、人類が最初に足を踏み入れた。エストニアの歴史の記録については、13世紀以降のものとなる。
13世紀:中世時代(日本では鎌倉時代)の始まり。現在のエストニアの位置する土地をデンマークの十字軍が占領。デンマーク領となる。
14世紀:デンマークはエストニアの一部(現在の北エストニア、現首都のタリンを含む)をドイツに売却。
16世紀:ロシア帝国が当時デンマーク領だったエストニアに侵攻。スウェーデンとポーランドに援助を求め、ロシアに勝利した。その後、エストニアの北部はスウェーデン領、南部はポーランド領となった。北エストニアの領土はデンマーク領のままだった。
17世紀:スウェーデンとポーランドの間に戦争が発生し、スウェーデンがエストニア全土を統治。農民だったエストニア人はスウェーデン配下時代に教育が大きく進み、エストニア文化は大きく発展し進んだ。また、その時代に他の北欧の国と同じく、キリスト教のルター派(プロテスタント)が主流となった。1632年にタルトゥ大学(北欧の2番目に古い大学)が設立された。
18世紀:スウェーデン帝国とロシア帝国の間に戦争が勃発しロシアが勝利。1710年から1918年まで、エストニアはロシア帝国の領土となるが、ロシア領内のバルト地区として自治を確立した。それにより、宗教、言語はドイツ語、エストニア語のままで維持することができた。その数世紀後に独立できた
のもこの時期があったからだと言える。
19世紀:数世紀もの間農奴として抑圧されてきたエストニア人が民族としての意識を自覚する、「民族の覚醒」が起きる。民族覚醒によって初めて、エストニア語で独自の新聞の発行、演劇の活発化など、様々な文化活動が広がった。
その活動の中、現状でも5年に1回行われている、歌と踊りの祭典を行う習慣が始まった。起源はドイツの合唱団と踊りをベースとし、エストニア独自の要素を入れ現在のスタイルとなった。当時エストニア人は想像でもエストニアを国として意識することができない時期だったが、エストニア文化の偉人を多数排出したのがこの時期である。16個の言語を理解したと言われているKristjan Jaak Peterson(クリスチャン・ヤーク・ペテルソン)は21歳で亡くなったが、Kuu(月)という詩を残した。エストニア民族覚醒の芽生えを表現し、後世に語り継がれている。
「この国のことばは,歌の風にのって,空に昇り,永遠の命を得ることはできないのか?」
(エストニアの文化人の銅像・記念碑・墓 http://sipsik.world.coocan.jp/estfoto/ausambad.html, 2011.)
20世紀:第一次世界大戦の結果、ロシアは弱体化し、エストニア人の政治活動が活発化。そして長年にわたる民族覚醒が実を結び、エストニアは1918年2月24日に独立した。その後、ソ連との1918-20年の自由戦争に勝利したが、第二次世界大戦の際に再度ソ連により支配される。
しかし、80年代後半にソ連が崩壊。年代後半、バルト三国ではいわゆる「歌う革命」が行われ、エストニアは1991年に血を流さずに、再独立した。2004年にはNATOと欧州連合(EU)に加入。
◆ エストニアの特徴
現在のエストニアはいくつか特徴がある。
教育水準が高い:最新のPISA調査(OECD生徒の学習到達度調査)によると、エストニアは数学、科学と読解力の3カテゴリーでヨーロッパで1位。識字率(リテラシー)は99.8%で世界で最も高い国の1つである。一般的なエストニアの公立学校では、英語を第2外国語とし、50代以下の世代ではほとんどの人が英語でコミュニケーションを取ることができる。また、フィンランド語、ロシア語、ドイツ語などを話せる人も多い。
多文化が交差するエストニア:13世紀から20世紀にかけて、エストニアは5つの国によって支配された(デンマーク、ドイツ、ポーランド、スウェーデン、ロシア)エストニアの旧市街では、プロテスタント、カトリック、ロシア正教等さまざまな起源をもつ教会を見ることができ、観光名所となっている。
自然が多い:エストニアの領土の約半分が森に覆われており、ヨーロッパでは、森林面積のランキングで5位になっている。エストニアに面しているバルト海近海には島が2,000以上ある。
人口密度が低い:エストニアの人口は133万人(2020年時点)であり、神奈川県川崎市の人口とほぼ同じである。面積は約45,000平方キロメートルあり、九州本島より少し大きく、デンマーク、スイスとオランダより大きい。人口密度が低く、混雑等が少ないことが特徴である。
エストニア人のアイデンティティ:前述した通り、従来のエストニア民族は様々な文化が混ざっており、様々な背景をもった国民がいる。しかしながら、エストニア民族主義の中心になっているのは祖先の血統などではなく、エストニア語でコミュニケーションをできることだ。
ITイノベーション創出が盛ん:エストニアはスタートアップが盛んであり、人口に対する投資額が世界3位である。そのスタートアップには、Microsoftに買収されたSkype、海外送金のワイズ含め、ユニコーン企業(評価額が10億ドル以上のIT企業)が6つあり、スタートアップがビジネスしやすい環境の整備にも積極的である。2020年7月から、「デジタルノマドビザ」制度を開始し、他国民に対してもビジネスの門戸を開いている。
電子国家エストニア:民間企業との協力でできた2002年に開始した国民IDシステムのおかげで、エストニア国民は結婚・離婚、不動産売買を除くほぼ全ての行政手続きをオンラインで完結できる。また、過去さまざまな国に侵略されてきた経緯から、侵略に備え、政府のデータベースのバックアップをルクセンブルクに置いている。首都のタリンにはNATOサイバー防衛協力センターが位置しており、NATO全体のサイバーディフェ
ンスを担っている。
ゲスト:ハッスラテ・ポール
エストニア出身。 通訳・データアナリスト2015年に来日。来日前から日本語の通訳・翻訳に携わり、2017年に早稲田大学の修士課程を修了。2018~19年にエストニアの電子居住者制度「e-Residency」公式パートナーとして日本での啓蒙活動を展開していた。現在フィデリティ投信にてデータアナリストとして勤めている。2021年エストニア大統領の来日の際に、佐久市にてエストニア大統領の通訳を行った。
コーディネーター寄稿文
エストニアの舞台芸術
横尾ルッタス 紫苑(コーディネーター)
エストニア共和国は、1991年にソビエト連邦より独立を回復、昨年30周年を迎えた。近年日本でも主にIT先進国として知られるようになったエストニアだが、年間劇場来場者数がその人口(約130万人)とほぼ同数(1)であるという舞台芸術大国でもある。エストニア語の演劇(teater)という語は一般的に舞台芸術全般を指すが、さらに英語に類し、芸術領域に加えて劇場、そして劇団をも意味する広義な言葉である。日本語での演劇、すなわち台詞が主体となる演劇はsõnateater(言葉の演劇)と呼称される。本稿では、エストニアの舞台芸術を取り巻く状況を、主に演劇と舞踊に焦点を当てて紹介する。
(1) Aibel, L and Sippol, T. Eesti teatri esineme koroonaaasta. ‒ Teatrielu 2020. Eesti Teatriliit and Eesti Teatri Agentuur, 2021, p.265.
様々な国に占領されてきた歴史を持つエストニア。今日の演劇はドイツとロシアのかかわりなくしては語ることができないだろう。所謂ハイカルチャーはドイツを手本としていることが多く、舞台芸術も多分に漏れない。(2)
(2) Pesti, M. Eesti teatri 100 aastat. Riigikantselei ja AS Eesti Meedia, Post Factum, 2018, p.11.
演劇、広く舞台芸術はまず、18世紀にドイツ語で盛んとなる。エストニア語の戯曲が初めて上演されたのは1819年のことである。その後、エストニアの民族意識成立とともにエストニア語でのエストニア人による一般市民に向けた演劇が誕生した。ソ連下においてすべての劇場が国有化、1939年開戦、1941年ドイツによる占領、再度ソ連支配下へと激動の時代、舞台芸術も翻弄される。ソ連時代には舞台芸術も検閲の対象となり自由な表現は抑圧されていた。しかしながら舞台芸術は人気を博し、ともにス
タニスラフスキーの追随者であるカーレル・イルド(Kaarel Ird)やヴォルデマル・パンソ(Voldemar Panso)といったエストニアの演劇史に残る演出家の活躍も見られた。(3) 現代演劇や現代舞踊、またはパフォーマンスアートといった現代舞台芸術の本格的な発展は独立回復を待つこととなったが、現在では諸外国との交流が盛んとなり、国際フェスティバル等も開催される。
(3) Pesti, M. Eesti teatri 100 aastat. Riigikantselei ja AS Eesti Meedia, Post Factum, 2018.
独立回復後、小劇場や舞台芸術団体も増加し続けている。2021年の統計では、大小合わせて約65の舞台芸術団体があり、2019年とCovid-19の影響を受けた2020年にそれぞれ年間新作数222、170、新旧作品合わせて年間7047、4838公演が行われた(演劇サークルを除く)。(4)(5)
(4)Sippol, T. Statistikas osalevad etendusasutused 2020. ‒ Teatrielu 2020. Eesti Teatriliit and Eesti Teatri Agentuur, 2021, p.262.
(5)Sippol, T. Statistikas osalevad tendusasutused. ‒ Teatrielu 2019. Eesti Teatriliit and Eesti Teatri Agentuur, 2020, p.348.
舞台芸術団体はレパートリー制とプロジェクト制に、また公営と私営に分類される。公営劇場と演劇よりの私営劇場は大抵独自の劇団を保有し、レパートリー制である。対して現代舞踊やパフォーマンスアートではフリーランスのアーティストとともにプロジェクトでの活動が一般的である。エストニア国立劇場は国内の主要六都市に計8(内首都タリンに3)、そのほかタリンに市営1公営1、タリンに集中気味ではあるがエストニア全土に約55もの私営舞台芸術団体が存在している。(6) 加えて演劇 サークルが40程。これらほとんどが演劇中心である。
(6)Sippol, T. Statistikas osalevad etendusasutused 2020. ‒ Teatrielu 2020. Eesti Teatriliit and Eesti Teatri Agentuur, 2021, p.262.
演劇団体では、劇場と劇団が一体となっている場合が多い。しかし、演劇と一言に言ってもその実内容は多様である。公営劇場はより古典的スタンダードな作品が多く、もちろん劇場ごとに様々な色を持つが現代演劇や総合舞台芸術作品は私営劇場に多い傾向が見受けられる。現代演劇に取り組むのは1992年に独立回復後初の私営劇場として誕生したヴォン・クラール劇場(Von Krahl Teater)や、ムスト・カスト(Must Kast、ブラックボックスの意)等である。公営であったシアターNO99(2005年-2019年)は例外かもしれない。加えて、9つの小劇場によって2010年に結成されたヴァバ・ラヴァ(Vaba Lava、自由な舞台の意)の幅広い活動も特筆に値するであろう。
舞踊分野(但し領域融合が進んでおり明確な線引きは困難)ではタリンに位置するエストニア国立オペラ劇場(Rahvusooper Estonia)とタルトゥのヴァネムイネ劇場(Teater Vanemuine)において、オペラとともにバレエが上演される。コンテンポラリーダンスやパフォーマンスアート領域では私営のともにタリンに位置するカヌティ・ギルディ・サール(Kanuti Gildi SAAL)とスゥルトゥマトゥ・タンツ・ラヴァ(Sõltumatu Tantsu Lava、独立したダンスの舞台の意)がその中心となっている。これらは所属アーティストを持たずプロダクションハウスとして機能しており、フリーランスで活動するアーティストの様々な作品が観られる。
エストニアの舞台芸術の特徴として、公営私営ともに完全に商業的な劇場がほとんど見られない点が挙げられる。私営劇場もやはり、エストニア文化省からのサポートで成り立っていることが多く、金銭的利益とは距離を取っているように感じられる。それ故か、チケットは物価を考慮しても日本より低価格であり手が届きやすい。
公立劇場での舞台鑑賞は、ハイカルチャーの風潮がありつつも広く浸透しており、少し着飾って出かける日常の中の文化的ひとときという位置づけのようだ。その観客層は嗜みとして演劇または広く舞台芸術を愉しんでいると言えるだろう。公立劇場の公演広告は各都市の町中で見られ、また首都タリン旧市街の入口にも壁一面に張られており、日常的に目にする人も多いだろう。その一方、現代演劇や現代舞踊はやはり、一般的に人気があるとは言い難く、観客は類似分野のアーティストや関心を持つ一部の人々に限られた狭い世界であるのが現状だ。プロダクションハウスやアーティストにつく個人的ファンが多い印象である。
また、日本と比較して興味深いのが、サマーシアターの人気である。毎年6月から8月の夏期に、通常の劇場以外、特に都市部から離れた場所、例えば屋外、での舞台鑑賞は、エストニアの人々にとって夏の風物詩となっている。
2020年そして2021年はCovid-19によるロックダウンや制約が生じ、一時はすべての文化施設が閉鎖、もちろん劇場も活動停止を余儀なくされた。しかしながらそのようタリン旧市街に佇むカヌティ・ギルディ・サール(KANUTI GILDI SAAL)な状況であるからこそ、オンライン配信に始まり、各自動車内から観るもの(7)、郵便で届いた電話番号に電話をするもの(8) 等、新たな試みが見受けられた。歴史と、そして人々とともに歩んできた舞台芸術、今後も表現の探求は尽きないだろう。
(7)『Kõigi piirangute lõpp(すべての制約の終わり)』2021年5月6日、エストニア国立博物館駐車場Bにて初演、脚本・演出:Ivar Põllu。
(8)『Kuuluvusharjutused(所属の練習)』2021年3月18日、各電話を媒体に初演、作:Barbara Lehtna、Jānis Balodis、Katrīna Dūka、Nahuel Cano。
コーディネーター:横尾ルッタス 紫苑
エストニア在住。
kotonoha OÜ 主宰。 エストニア国立タルトゥ大学ヴィリヤンディ・カルチャーアカデミー、舞台芸術学部在学中。エストニア語と英語の翻訳・通訳に関わる。コンテンポラリーダンス、パフォーマンスアートの作品制作の傍ら、エストニアの音楽アーティスト(「NOËP」、「Kangelased」)のミュージックビデオやコンサートビジュアル映像にパフォーマーとして出演。
<エストニア特集>
コーディネート&通訳 横尾ルッタス紫苑
担当 山上優/柏木俊彦/菅田華絵
韓国特集
「継続で見えてくる日韓の演劇交流」 日本演出者協会が初めて韓国との演劇交流を行ったのは1992 年でした。「演劇人国際交流92 日韓演出家会議」というタイトルで、東京芸術劇場で3 日間開催しています。
今年でちょうど30 年となりますが、巻末の「日韓演劇交流年表」「国際演劇交流セミナー実施年表」でお分かりのように、実に多様な形式でさまざまな出会い方をしてきました。
2020 年より新たな交流の形を模索していますが、今年度は、コロナウイルス蔓延の状況でも日韓交流を絶やさず、同世代で同時代に活躍する劇作家と演出家に出会うことを目的に、昨年度に続き「韓国を知り、日韓演劇の未来を探る」第2 弾 ~オンラインで日韓の演劇の街、下北沢-大学路(テハンノ)を繋ぎます!~を開催しました。
今回のコーディネートの洪明花さんによる講師選出は、素晴らしかったと感じています。 ソ・ジヘ氏は、韓国で数多くの演出賞を受賞している方で、特に翻訳戯曲の演出をメインに活動されています。
戯曲リサーチのために、『アイランド』の出演者とアフリカまで渡ってフィールドワークを行われたことには、作品への並々ならぬ愛情と、演劇人としての強い意志を感じました。ゲストの松本祐子さんとは、海外戯曲との出会い方も語ってくれました。
オ・セヒョク氏は、演劇をはじめたきっかけと演劇への想い、演劇を起点に、ミュージカル、映像などジャンルを横断した活動と意義を話してくださいました。オ・セヒョク作品の原点を垣間見た瞬間でした。ゲストのラサール石井さんとは、日韓のミュージカルについて、助成制度についても語ってくれました。
日韓の演劇や社会の現状を共有という点においては、韓国特集の最後に掲載されている『楽屋のお掃除』(作:オ・セヒョク)の存在が大きかったと感じます。
無観客オンライン配信のリーディングではありましたが、ソ・ジヘ氏も語った戯曲リサーチに時間をかけ、営み、文化の差異、社会課題についても掘り下げていく作業を行いました。 朴槿恵政権時に書かれた作品ですので、当時の韓国演劇人の葛藤にも触れています。韓国演劇を知るひとつとしても活用できると思います。 そして、リーディングで声や身体が伴うことによって、私も含め参加者にも疑問や実感が溢れるように沸きました。3 日目のオ・セヒョク氏とのアフタートークの記録を見返すと、ある一定の成果をもたらしたと感じます。
オ・セヒョク氏と翻訳の洪明花さんのご厚意により、戯曲を掲載することができました。お二人には、深く感謝申し上げます。
※上演を希望される場合は、日本演出者協会にご連絡下さい。
交流の発展や連携の方法については、韓国演劇協会の協力が続いていることが感謝の思いでいっぱいです。
2 日目には、韓国演劇協会の事務局長のキム・グァンさんが登壇され、韓国の演劇のメッカであるソウルの大学路について語ってくれましたが、セミナーの前に大学路に出て、コロナ禍の大学路を写真に収めて見せてくれたことは感激でした。
継続することで、改めて互いに補い合う関係が生まれてきていると感じます。
情報や意見の交換を絶えず続けていくこと。
その意義も感じ取れた韓国特集であったと思います。
企画担当 柏木俊彦
「 韓国を知り、日韓演劇の未来を探る 」第2弾
− オンラインで日韓の演劇の街、下北沢 ⇔ 大学路 を繋ぎます! −
2020 年に続くオンライン企画の第2 弾として「韓国の若手演出家・劇作家と語り合おう!」を開催。
今回は、韓国で数多くの演出賞を受賞している若手演出家のソ・ジヘ氏と、劇作家として頭角を現し、近年ではストレートプレイだけでなくミュージカル作品の演出でも受賞するなど多様なジャンルで活躍するオ・セヒョク氏の2 名を迎え、レクチャーを実施。また、日本側ゲストとディスカッションを行い、日韓の演劇や社会の現状を共有し、交流の発展や連携の方法を探った。 レクチャーに加え、最終日には、オ・セヒョク氏の戯曲『楽屋のお掃除』を翻訳リーディングし、作家本人と作品についてのディスカッションを行った。
【 in 日本 】会場:下北沢・アレイホール
【 in 香港 】会場:韓国演劇協会オフィス
11 月26 日(金)19:30 ~ 22:00
「翻訳戯曲の演出について」
[講 師]ソ・ジヘ
[ゲスト]松本祐子
11 月27 日(土)19:30 ~ 22:00
「韓国の現代演劇―ミュージカルなどいついて」
[講 師]オ・セヒョク
[ゲスト]ラサール石井
11 月28 日(日)18:30 ~ 21:30
オ・セヒョク戯曲『楽屋のお掃除』リーディング
[講 師]オ・セヒョク
[リーディング]脚本:オ・セヒョク
翻訳:洪明花
演出:柏木俊彦
出演:金恵玲/佐野陽一/実近順次/山下直哉
[アフタートーク]講師と演出家・出演者
講 師
ソ・ジヘ / 서지혜
1979 年生まれ。演出家。劇団「プロジェクト・アイランド」代表。2012年に上演したアソル・フガード作の『アイランド―――監獄島』で演出家として頭角を現す。2018 年の『ありふれた狂気の物語』で韓国演劇界に生々しい衝撃を与え、同年の主たる演劇賞を総なめにし、最も期待される演出家として注目される。その後、国立劇団で、人民革命党事件を扱った『孤独な沐浴』を演出し、大きな反響を呼ぶ。芸術の普遍性の幅を広げるべく、常に人間の根源的な実存について同時代の観客との疎通を図り続けている。西洋の様々な翻訳作品にも挑む彼女の卓越した演出の技量は、国内だけでなく海外でも注目を集めている。
講 師
オ・セヒョク / 오세혀
1981 年生まれ。劇作家・演出家。正義の天下劇団コルパン芸術監督。劇団「project BUT」代表。制作集団「never ending play」メンバー。
2011 年、韓国新人作家の登竜門である新春文芸に2 つの作品が同時入選し、華々しいデビューを飾る。以後、社会風刺を込めたコメディやミュージカルなど、多彩なジャンルの公演を続け、国立劇団など外部への作品提供、演出でも活躍している。2016 年、『地上最後の冗談』がソウル演劇人大賞劇作賞、『ゲッベルス劇場』が演
劇評論家協会BEST3 に選ばれる。2017 年にはミュージカル『僕とナターシャと白いロバ』で、第1 回韓国ミュージカルアワード演出賞を受賞。
ゲスト
松本祐子
文学座所属演出家。1999 年から1年間文化庁在外研修員としてロンドンにて研修。2006 年『ぬけがら』『ピーターパン』に対して第47 回毎日芸術賞-千田是也賞、2019 年『ヒトハミナ、ヒトナミノ』『スリーウインターズ』に対し第54 回紀紀伊國屋演劇賞個人賞、第27 回読売演劇大賞最 優秀演出家賞、2020 年『五十四の瞳』に対して芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。最近の主な作品に『一銭陶貨~七億分の一の奇跡』(作・佃典彦)『ジャンガリアン』(作・横山拓也)『罠』(俳優座劇場プロデュース)『血を売る男』(劇団東演)。日本演出者協会理事、桜美林大学、明治大学の非常勤講師を務める。
ゲスト
ラサール石井
1955 年10月19日生まれ、大阪府出身。大学在学中に劇団テアトル・エコーの養成所で知り合った渡辺正行、小宮孝泰とコント赤信号を結成。以降、テレビのバラエティ番組を中心に活躍。現在は俳優や声優のほか、舞台の演出、脚本でも才能を発揮し、ジャンルを問わず多くの作品を手がけている。2015 年には原案、作詞、演出を務めた『HEADS UP!』で第23 回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。近年の主な作品に【舞台】『Jazzy なさくらは裏切りのハーモニー』(出演)、『伊東四朗生誕?!80+3周年記念「みんながらくた」』(演出)、『阿呆浪士』(演出)、『志村魂』(脚本・演出)、『メタルマクベス disc3』(出演)【映画】『無頼』、『星屑の町』(出 演)【テレビ】『半沢直樹』(TBS)(出演)などがある。
コーディネーター寄稿文
「世界へ発信を広げる演劇の街、ソウル大学路から」
洪 明花(みょんふぁ)
約1.5キロのメイン通りを中心に、約160にも及ぶ劇場が立ち並ぶ演劇の街、ソウルの大学路 。
その数や密集率は世界一と言われ、大小劇場を備えるパブリックシアターをはじめ、 100席ほどの小劇場などがひしめき合っています。
ジャンルも様々で、一般的な会話劇から古典もの、ノンバーバル、芸術性の高い作品や商業的な作品、ミュージカルや子供向けの児童劇など、常に、毎日100以上の作品が公演されています。
街の数カ所に演劇センターや図書博物館などがあり、専門書はもちろん、現在上演されている新作戯曲なども気軽に閲覧、貸出できるシステムがあります。任意で小規模の作品なども置いてくれるので、気になった作品があればすぐに読むことができ、 また出展できます。
観劇チケットはサイトによって安く購入でき、学生割引だけでなく会社員割引、また関係者割引などの制度がかなり充実しているので、関係者や専門家だけでなく、ファミリーやカップル、またここ数年では海外からの観光客など、観客層はどんどん広がっています。言語の分からない人々にも楽しんでもらえるよう、タブレットを利用した字幕表記や、同時翻訳イヤホンを使用するなど、多くの観客に楽しんでもらえるような工夫を、小劇場でもいち早く取り入れ、この対応力の速さには、いつも感心するばかりです。
今回の日韓交流セミナーでは、そんな大学路を中心にものすごい勢いで活躍を見せるお二人を、講師としてお招きしました。
作家であり演出家でもあるオ・セヒョクは、2011年の新春文芸戯曲部門に当選。その奇抜な発想力や風刺コメディなどで “韓国のチャップリン” と期待され、また “大学路のブルーチップ(大型優良株)” と注目を集めました。
彼との出会いは2014年、私が在外研修で韓国国立劇団で修行中のことでした。
何気なく訪れた劇場で彼の劇団「正義の天下劇団コルパン」の『老いた少年たちの王国』 が上演されていました。
自らの王国を失い彷徨う悲劇の王リア王と、王国を求めて彷徨う喜劇の騎士ドン・ キホーテがソウル駅前広場で出会い、2人の前に捨てられた少年が現れる。少年を売り払ってお金を稼ごうとする浮浪者たちの悪巧みに気づいた2人は、少年を守るために世界一小さな王国を建設するという物語。
当時のセウォル号事件など、国民を切り捨てる権力者たちを揶揄し、マダン劇の手法を取り入れ、笑いと涙あふれるエンターテイメントに描いていました。常に社会風刺をコメディで切り込む彼の作品はユーモアに溢れ、韓国オリジナルミュージカルなども手がけ、“ 第1回大韓民国ミュージカルアワード ” を受賞しました。
今、韓国のオリジナルミュージカルは世界に羽ばたいており、彼の『僕とナターシャと白いロバ』は日本でも上演されています。
また、「劇団プロジェクト・アイランド」の代表・演出家のソ・ジへは、2018年『ありふれた狂気の物語』で韓国演劇界に生々しい衝撃を与えました。ソウル演劇祭では大賞、演出賞、演技賞、観客人気賞他を受賞、また “ 東亜演劇賞 ” など主たる演劇賞を総なめにし、最も期待される演出家として注目されています。日本との親交も深く、札幌劇場祭では、『監獄島―アイランド』で大賞を受賞、また、アジア舞台芸術祭では、日本の俳優と創作し、東京芸術劇場で上演しています。国内のみならず、未翻訳の海外作品に関心が高く、気になった作品はすぐに作家にコンタクトを取り、現地まで会いに行って説得するなど、精力的に韓国で翻訳劇を発表し続けています。
今回は残念ながらオンラインでの開催になりましたが、次回はぜひ対面で共同制作などができればと思います。
コーディネーター:洪明花(みょんふぁ)
映画やドラマ、舞台などでの女優、イベントでの司会やナレーター業を中心に活躍。 日韓の通訳や戯曲の相互翻訳紹介、両国の演劇公演をプロデュースするなど、積極的に日韓交流活動に取組む。 2015 年、日本の文化庁の在外研修で、韓国国立劇団にて俳優訓練。 2017 年、小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞。 SORIFA 代表。
<韓国特集>
コーディネート 洪明花
通訳 石川樹里 / 季知映
担当 柏木俊彦 / 広田豹 / 和田喜夫
戯 曲『楽屋のお掃除』📖
脚本 オ・セヒョク / 翻訳 洪明花
香港特集
「オンラインの可能性」 今回の香港特集は「香港人が三島を題材にすること」「東京と京都と香港の3ヶ所をオンラインで繋ぐ」「講師はオンライン、日本は対面参加で、6 日間で創作発表を目指す」「ディバイジングという集団創作手法のシェア」など、かなり実験的な要素の多い企画でした。特に「演劇はオンラインでも作れるのか」という命題に向け、なるべく対面実施に近くなるように、複数台のカメラや投影スクリーン、特別な音響設備などを準備しましたが、正直言って、技術的にはまだまだ不足な 部分があったという反省があります。
しかし、発見することもかなり多かったのも事実です。やはりオンラインとはいえ、過ごす時間が長くなるほど、各自の素養や、個性は見えてくるし、ある程度の密な交流ができたのは 1 つの収穫でした。特に、ディバイジングの「テクストに頼らない創作プロセス」のおかげで、個人プレゼンをする時間も多く、参加者の個性を表面化し良い交流ができたと思います。また、「三島」という強烈な題材でしたが、講師の豊富な知識と、各自が多面的な視点から捉えることで、かなり身近に感じることができたという気もします。
もう 1 つは「ポストドラマ演劇の可能性」です。通常の会話劇と違い、ポストドラマ演劇では、俳優のやり取りはあくまで劇の一構成要素です。よりビジュアルやセリフの音楽性が高いうえ、マルチフォーカス、多声的という手法は、オンライン創作との相性は決して悪くはなかったと思います。最終日の東京と京都のコラボ発表はちょっと特殊な体験でした。会場に投影された映像上では、「京都と東京が隣り合った画面で共演」していますが、京都会場にいる私の目前では、「京都組による生のパフォーマンス」が行われている。「目前の生」を見ながら、「遠方の生」を感じると同時に、画面上では 1 つの完成されたパフォーマンスを見る。 とても特殊なライブ体験であり、技術革新が進めば、新しい可能性になるかもしれないと発見しました。
今回の挑戦に立ち会って頂いた講師、参加者、見学者、各会場の実行委員や関係各位の皆様には感謝しかありません。本当にありがとうございました。
今年の香港特集は、結果的に 2 年連続のオンライン開催となりました。仕方ないというしかありません。講師のアンドリューさんは本当に来日したがっていました。昨年のオンライン実施の際、参加者に「来年はきっと対面で会いましょう」と言っていましたし、日本の文化が大好きな彼のこと、様々な交流や体験もしたかったことでしょう。最終回に「また、会いましょう。約束!」とちょっと拙い日本語で参加者に伝えていたのがなんとも切ない思いがしたと同時に、この約束を果たすべきとの思いを持ちました。
ポストドラマ演劇人として確固たる世界観を持ちながらも、決して高圧的ではなく、子どものような純粋さと誠実さを持ったアンドリューさんは、不思議な魅力がある人でした。オンラインワークショップのため、音声や回線の不具合などで、参加者の負担もかなりあったと思いますが、参加者のみなさんは非常に献身的でした。それも彼の魅力あってこそだと思うのです。
香港は今非常に危険な状態が続いていると感じます。私の香港の友人は、かつ てネット上で政治的な発言を繰り返していましたが、最近はそういう発言は全く ありません。それはかつてのように抵抗運動がなくなったのではなく、むしろそれらが表面化しにくい状況、つまり、政府による圧力が水面下で浸透しているということかもしれず、そうならばむしろ非常に深刻だと感じます。今回の参加者は、セミナー終了後、アンドリューさんと SNS を通じて繋がりました。香港に特別な友人ができた私たち。今後も香港情勢は注視していきたいと思います。
企画担当 佐川大輔
アンドリュー・チャンの
ディバイジングシアター
~ 地図のない冒険 ~
香港 ⇔ 日本 を繋ぐオンラインワークショップ
本来は香港から講師を招き、対面にてワークショップを行う予定であったが、 新型コロナウイルス蔓延により来日は厳しく、2020 年に続くオンライン企画第 2 弾として開催する運びとなった。
会場は、講師のいる香港、日本は東京と京都。計 3 ケ所の会場を同時にオンラインで繋ぎ、対面とオンラインの併用型ワークショップとして開催した。
香港人演出家と日本の参加者で、「三島由紀夫」作品を題材にディバイジングシ アターの手法で創作。最終日には成果発表を行った。
【 in 東京 】会場:芸能花伝舎(12 月 14 日~ 18 日)
ファンファーレスタジオ荻窪(12 月 19 日のみ)
【 in 京都 】会場:studio seedbox
【 in 香港 】会場:アリス劇場実験室(Alice Theatre Laboratory)スタジオ
12 月14 日(火)18:00 ~ 22:00
・ウォーミングアップ(アイスブレイク)
・ポストドラマ演劇理論を紹介
・アンドリュー・チャンによるディバイジングシアターについての解説
・個人パフォーマンス Part 1
12 月15 日(水)18:00 ~ 22:00
・ウォーミングアップ(個人、全体)
・グループ討論(各題材について)
・エクササイズ:15 分間の三島由紀夫
12 月16 日(木)18:00 ~ 22:00
・ウォーミングアップ(個人、全体)
・グループプレゼンテーション(各題材について)
・ディバイジング行動・1:シンボル化行動
・ディバイジング行動・2:詩化行動(個人)
・グループ討論
12 月17日(金)18:00 ~ 22:00
・ウォーミングアップ(個人、全体)
・ブレヒト練習 (A dog came in the kitchen)
・ディバイジング行動・3:詩化行動(グループ)
12 月18日(土)10:00 ~ 14:00
・ウォーミングアップ(個人、全体)
・形体練習:象形文字
・最終日の作品を構築
・発表のための稽古
12 月19日(日)13:00 ~ 20:00
・発表のための稽古
・作品発表
・全体まとめ
講 師:陳恆輝 / アンドリュー・チャン ハンファイ
1970 年香港生まれ。アリス劇場実験室(Alice Theatre Laboratory)芸術総監督。
香港舞台芸術アカデミー(HKAPA)演劇学科演出専攻卒業。卒業公演『ヴォイツェック』で校内優秀演出賞受賞。
代表演出作品は『カフカの七つの箱』『第三帝国の恐怖と貧困』『勝負の終わり』『ハムレットマシーン』『香港三人姉妹』、『テンペスト』『幻のような演劇を一本』など。しばしば中国内陸、台湾、海外に招かれて演出する。
2009 年『カフカの七つの箱』で「第 18 回香港舞台劇賞」の最優秀演出賞(悲劇・シビア劇)及び「第 1 回香港小劇場賞」最優秀演出賞受賞。
2013 年『勝負の終わり』で「第 5 回香港小劇場賞」最優秀演出賞受賞。
2018 年『香港三人姉妹』で「第 27 回香港舞台劇賞」最優秀演出賞(悲劇・シビア劇)ノミネート。
2017 年『香港三人姉』の台北公演で、台北フリンジフェスティバルで優秀作品賞受賞。
その他、エディンバラ・フェスティバル・フリンジや、両岸小劇場芸術フェスティバル(中国本土・台北共同フェスティバル)、台北関渡芸術フェスティバル、烏鎮演劇祭など、アートフェスティバルに参加し、同時に様々な地域の芸術家と提携している。近年は国際交流プロジェクトに積極的に関わり、2020 年は日本演出者協会の招聘にて、オンラインワークショップ「国際演劇交流セミナー 2020 香港特集」の講師を務め、日本の演出家、俳優と『香港三人姉妹』で使った「ディバイジングシアター」という演出法をシェアする。
講師寄稿文
地図のない冒険のような
ディバイジングシアター
アンドリュー・チャン
現代の劇場は活気を失っています。その活気とは溌剌としたパワー溢れる雰囲気。
劇場の生命力を取り戻すための方法の1つは、ディバイジングシアターだと私は思います。この創作方法、及び形式は私が非常に推奨するものです。
ディバイジングシアターとは、基本的にはテクストをもとにしない創作法で、表現者たちが自らアイデアを出し、資料を収集し、稽古から本番までの全段階における合同創作を大事にしています。脚本はなく、大量の関連資料だけを使って、1つ、もしくは多数の刺激点から創作を始めます。刺激点というのは、例えば、ある考え、テーマ、物語、物体、画像、明かり、匂い、動き、場所、文章、音楽、質問などです。演出家は創作チームをリードして、たくさんのワークショップを行います。ワークショップでは、ゲーム、エチュード、作文、絵、物真似、討論などのエクササイズを使って、劇で使う素材を作り出します。そして次の作業は、できた素材の中から選別、再構築、編集しま す。そのあと稽古に入って、素材を更に手直ししたり、ものを加えたりして作品を作っていきます。
私はディバイジングの製作過程を「錬金」と同じだと感じます。演出家は錬金術師のように、様々なエレメントを組み合わせて「化学反応」をおこし、演劇作品を「錬成」する。そんな演出家にとって、ディバイジングシアターの製作過程で一番困難で繁雑な作業は、いかに「選択」し「構築」するかです。これについては特別な方法論はないので、演出家自身の経歴、経験とセンスに頼るしかありません。
それから、ディバイジングは「合同創作」がとても重要なため、主導者が一方的な指示を出すやり方には向いておらず、一般・伝統的な分担創作とは違います。こういった合同創作の方式は非線状のポストドラマ演劇作品を生み出します。ディバイジングは、反階級制度を主張し、より民主的な演劇を実践しようとする手法です。演出家は最終決定者として責任を負いますが、同時に俳優にも、ものを言う権利を与えて、全員が平等 な立場で創作できる場を作らなければなりません。
ディバイジングシアターは地図のない冒険ですが、「勇気」「信頼」「平等」の信念を持てば、豊作の「旅」になると思います。
日本演出者協会の、2年連続のお誘いに感謝しております。この機会に、東京と京都、2ヶ所の演劇人とディバイジングシアターのワークショップを行い、自分の作品を通して「ポストドラマ演劇」の特徴についても解説ができました。参加者たちは最初恐る恐るでしたが、ウォーミングアップでリラックスし、この課題に満ちた6日間を乗り越えました。
ディバイジングシアターは俳優に、常に考えることを求めます。頭を使うことは心身にとって健康的なことですし、ある意味一種の娯楽なのに、いつから考えることは「苦」になったのでしょうか? もしかして、日々進化している科学技術のせいで、人間は想像しなくても済むからでしょうか? 幸いなことに、今回東京と京都の参加者たちはとても積極的に自分の意見をシェアし、相手の批判と意見を受け入れていました。みなさんとワークショップをして、日本の表現者はとても頭脳明晰でクリエイティブで、アクティブな一面もあるし、物静かな一面もあると思いました。将来、実際日本に行き、芸術家たちと互いに切磋琢磨すること、そして、日本の表現者たちと稽古して作品を作ることを楽しみにしております。
コーディネーター寄稿文
香港特集の感想
インディー・チャン
2年続けてアンドリュー・チャンさんの通訳を担当いたしました。コロナ禍以来ずっと日本にいるので、久々に香港人の雰囲気を感じて懐かしく思いました。香港と日本は同じアジアでありながら、文化面では違うところがたくさんあって、それが演劇の世界にも表れていると思います。
まず、演劇論についての知識の違いですが、参加者からの質問に対して、アンドリューさんはいつも演劇論を口にしながら答えていました。そこで少し違和感を覚え、香港と日本の演劇教育について考えました。香港は経済第一の都市で、芸術文化は一時期砂漠状態だと言われていました。日本のように、社会人劇団や学生から立ち上げた団体は少なく、演劇をしたい人は公立の演劇学校(香港演芸学院)に入って、ちゃんと勉強してから活動する人が多いイメージです。演劇学校に入らないとなかなかプロにはなれないので、俳優・演出家になるハードルがかなり高いと思います。学校では座学も多いからか、アンドリューさんはスタニスラフスキーやブレヒトなどの演劇論、古典や各国のシステムを、すぐ口にできるほど詳しくなったというわけです。
一方、日本では芸能界が盛んなので、舞台俳優だけでなく、アイドル・モデルなどもよく演劇の世界に入り込んでいます。それから、会社員や主婦など別の仕事をしな がら市民劇団に入っている人もたくさんいます。そのため、演劇をやっている人が必ずしも演劇論やシステムに詳しいわけではなく、今回行ったような理論についての討論は初めてでした。(ワークショップならではということもありますが……)劇団や座組にもよりますが、日本では、理論はともかく先にやってみて、そこから俳優と演出家が話し合ったり、演出家がダメ出しをしたりして芝居を決めるケースが多く、理論や演技法についてはあまり触れない気がします。
次に、香港で近年流行っている「ポストドラマ演劇」は日本の小劇場演劇と似ている、という点について考えてみました。香港の舞台芸術の歴史は「話劇(会話劇)」から始まり、「ストレートプレイ」がメインの舞台が長年続いていました。近年は、欧米でも流行っている「フィジカルシアター」や「ディバイジングシアター」などの「ポストドラマ演劇」が話題になり、アンドリューさんの劇団のような、スタニスラフスキーの演劇法をあえて使わない劇団が増えています。香港で行われている「ポストドラマ演劇」は欧米から学んだ理論から発展したものです。一方で、日本は1970年代にアングラ演劇が盛んになり、寺山修司、鈴木忠志などの演劇人が続出し、新しい 演劇法が作られました。日本の今の小劇場演劇は日本独自の進化を辿ったものと思われます。香港のポストドラマ演劇と日本の小劇場演劇は似ているように見えますが、その成り立ちと制作過程はかなり別々のものだと思います。
最後に、今回のワークショップで香港と日本の演劇界の違いを最も感じたのは、演出家と俳優の関係です。アンドリューさんの性格とディバイジングシアターという手法を使っているからかもしれませんが、アンドリューさんは俳優の意見を大事にし、彼らに自主性と責任を求め、俳優は時には演出家の目を持たなければならないと言っていました。今まで日本で関わってきた現場では、多くの場合、演出家は至高な存在で、俳優は受け身の場合が多く、どう演出家の要求に答えるかが一番の仕事だとされているように感じます。日本側は、演出家が俳優を引っ張って行くイメージで、香港側は、演出家は俳優と一緒に二人三脚で行くイメージ。隣で見ていて、とても面白い現象でした。
香港と日本の演劇人が、これからもっと交流する機会が増え、お互いにいい影響を与えて更に面白い作品が生まれたらと思います。
コーディネーター:インディ・チャン / Indi Chan
香港出身。香港大学文学院言語学専攻卒業。
香港でフリーランスの声優として7年間活動し
たが、大学在学中に演劇と出会い、校内演劇コンテストで作・演出・出演を経験し、演劇に魅了される。2015年大学卒業後、演技の研修のために来日し、東京アナウンス学院に入学。同校卒業後、演出の道に進むため、文学座附属演劇研究所に入所。研究所時代は松本祐子、所奏、小林勝也の演出助手を務める。2020年、文学座演出部の準座員に昇格し、現在に至る。「日本の現代演劇がとても好きで、これからは日本と香港の演劇の架け橋として活動したいと思います」
<香港特集>
コーディネート&通訳 インディー・チャン
通訳 アンソン・ラム
担当 佐川大輔 / 杉山剛志 / 南慎介 / 菅田華絵 / 前田有貴
文化庁委託事業 「 令和3年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業 」
2022 年3 月31 日発行
発行人 佐 川 大 輔
編 集 一般社団法人日本演出者協会 国際部
柏木俊彦 菅田華絵 前田有貴 和田喜夫
国際演劇交流セミナー2021 冊子編纂実行委員会
発 行 一般社団法人日本演出者協会 国際部
〒 160-0023 東京都新宿区西新宿 6 -12 - 3 0 芸能花伝舎 3 F
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