シライケイタ新理事長インタビュー

インタビュー

【プロフィール】
シライケイタ

劇作家、演出家、俳優。劇団温泉ドラゴン代表。
1998年、蜷川幸雄演出の『ロミオとジュリエット』パリス役で俳優デビュー。2011年より劇作と演出を開始。新劇から小劇場、プロデュース公演と幅広く活動。「若手演出家コンクール2013」において、優秀賞と観客賞。2015年、韓国の密陽演劇祭において『BIRTH』が戯曲賞。第25回読売演劇大賞において、杉村春子賞。2018年度より21年度までセゾン文化財団シニアフェロー。
日本演出者協会理事長。日韓演劇交流センター会長。座・高円寺芸術監督。

《芸能花伝舎・協会事務局にて》

就任されてから、間もなく1年経とうとしていますね。

シライ(以下略)もうそんなに経ちますか。

総会の後ですから、去年の8月です。

座・高円寺の芸術監督になったのとちょうど同じ頃でしたね。

シライさんと言えば、日本で一番忙しい演出家の1人と言われても過言では無いと思いますが……

お陰様で、ますます忙しくなりました。

就任してから、演出者協会でこれは出来たと感じる事はありましたでしょうか?

何にもないです。理事長になる前に片づけておきたかった問題が、積み残したままになっています。もちろん抱負としては、演劇界がもっともっと活性化していけば良いとか、劇作家協会や美術家協会などの他の団体や劇場、劇団も含めた横のつながり・連携を深めて演劇界全体を盛り上げていきたいとか、お客さんを増やしたいとか、大きなビジョンは、楽しい部分の話としてあります。ただ、それらを実現する為には、まず理事会を改革していかなくてはならない。

理事会の改革とはなんでしょうか?

例えば、理事の高齢化の問題。それから選挙で繰り返し同じ人が選ばれてきた結果、理事のメンバーが固定化してしまっている問題。同じメンバーでずっとやって来た事で、気心が知れて関係が密になってくる様な、良い事もある反面、新しいメンバーが入ってきた時に風通しが悪い。僕も最初そうだったんですけど、取り残された感じというか、居心地の悪さみたいなものはあって、やっぱりそこはゆるやかな新陳代謝をうながしたい。じゃないと現場とどんどん乖離していくという感覚を僕は持っているので、大きな目標の前にまず内部を改革する必要があると思っています。

具体的に考えている点はありますでしょうか?

まず、理事の平均年齢を下げたい。それからジェンダーバランス。高齢化って事で言うと、世間的にも、ほんの少し前までの理事長職や(劇場の)芸術監督職は、僕より30歳近く上の方が多く、親の世代なんですよ、そこから一気に下りてきたんです。30年ってちょっと間が空きすぎでしょう。今までは、親の世代のやり方でやってきたわけだから、すべてを一気に僕らの感覚にアップデートしなければならないわけです。今の現場に即した組織にしていく必要がある。ジェンダーの事にしろ、ハラスメントの事にしろ、このあたりの危機意識も、世代によって違います。

なるほど。

ハラスメントに関して、協会として一刻も早く何らかの声明を出さなくてはと思っていました。ハラスメントが悪いという事は誰でも言える事ですけど、業界が今こうなってしまっているのは、先輩世代も含めた我々自身が見過ごして来たからでもあるわけです。それに対する反省の文言を盛り込まなければ、声明として何の説得力もないと考えて提案するのですが、社会全体の構造の問題と考えていく事が難しく、個人の問題としか捉えられない方が多くいます。ジェンダーバランスについても同じです。

国会議員のジェンダーバランスも話題になってますね。

日本のジェンダーギャップ指数、世界で118位ですよ。信じられますか?この問題は日本の宿痾(しゅくあ)みたいなものです。元々こういう国だから、今更みんなおかしいって思わないんだろうけど。そこを変えて行きたいと思います。だって、理事会のリモート会議の画面を見たら、僕も含めてほとんどおじさんの顔ばっかり並んでますよ。それって、おかしくないですか?

どうやって変えていこうとお考えですか?

まず、選挙制度を変えたいと考えています。そして、理事は男女同数になるようにします。それから、今まで選挙の時に配る会員名簿って、以前の理事の横に丸印がついてたと思いますが、今年からそれをやめました。それでも結局の所、ほとんど以前と変わらない方々が選ばれました。理事は何期まで、理事長は何期まで、というように制限も設けていきたいと考えます。それから、年齢別性別の枠を作るクオータ制を提案しようと思っています。すでに今年、理事長推薦枠で30代の女性に何人か加わってもらいましたけれど、それを選挙で入って来られるようにする。我々は芸術をやってる人間なのだから、年齢や性別で差別されるようなことがあってはならないと考えます。

世代間の新しい交流が生まれるといいですね。

それが協会の存在意義だと思います。タテとヨコのつながりがひろがっていって欲しい。僕も若い時に演出者協会に入って来て、……て言っても10年前ですけど。若手演出家コンクールで最優秀賞を受賞できなくて、悔しくて夜の下北沢を暴れまわって(笑)……それが今審査員やらせていただいている。

というか、理事長ですね(笑)。

そして、協会員になって、普通に生きてたら会えないようなレジェンド達に会って、沢山のお話が聞けた。若い世代にとっての学びの場、出会いの場っていう役割は大きいんじゃないかと思います。それに、個人レベルでしかなかった演出家の活動が、連帯して社会に向かえるようになったわけで、1960年に協会ができて、演出家の認知度はずいぶん上がったんじゃないかなと思います。……ただ、今でも言われてしまいますけれど……。演出家って何やってるんですか?って。

ハラスメントについてですが、もう少し協会の対応についてお話しいただけますでしょうか?

ハラスメントの問題は、本当に難しいです。結局、他者をどう尊重し合えるかって事につきるんですけど、一部では過激なハラスメント狩りのような動きも起きている。ハラ・ハラ(ハラスメント・ハラスメント)ですね。時代の急カーブについて来れない世代の人もいて、いくら言われても何がハラスメントなのかわからない。「こんなんじゃ、何も言えない」という様な思考停止に陥ってしまう。一方で過剰に反応する若い世代もいる。現在は、過渡期の状態で、「ハラスメント」という概念は何となく頭で理解できていても、行動としてどう振る舞うのが適切なのかをまだ探ってる感じではないでしょうか。協会はそういう意味では、まだハラスメントにどう向き合うかという段階に達していないかもしれません。まずは、知識をしっかりアップデートして、それを元に行動できるようにしたい。僕も含めてです。ただ、実際に協会として適切に対処をしていくとなると、常に対応できるように弁護士を常駐させるしか無いとも思います。そして、法律家のいない所でその話をいくらしても意味はありません。手探りでやるわけにはいかない。予算面も含めて、その点が難しいと思います。

ハラスメントへの怖れが含まれるのかも知れませんが、俳優から、最近は役の細かい所までアプローチしてくる演出家がいなくなったという話も聞きますが。

その気持ちは良く分かります。俳優個人の内面に踏み込み、役の細かいところまでアプローチしなきゃいけないのは大変です。なので、そうする必要のない、スキルを持った俳優をキャスティングしたい気持ちは痛いほどわかります。その事と俳優を育てる事とは全然違う話です。僕も演出家は本来俳優の内面に踏み込んでいくのが仕事だと思っていましたけれど、踏み込んでほしくない俳優もいますし、踏み込むのが仕事だと思ってる演出家と踏み込まれたくない俳優が一緒に芝居を作るのは、悲劇でしかない。それこそハラスメントと言われる状況に陥ってしまう可能性があります。ですから、演出家が踏み込まなくても、自分で内面を掘り下げていけるような、ストイックに役を作っていけるような俳優、本来俳優はそういうものだとも思いますけれど、そういう人たちとやらざるを得ないと思う気持ちは良く分かります。ですから、学生とやる時はめちゃくちゃ大変ですね。

最近の働き方改革についてですが、劇場や演劇界についてはどうでしょうか?

演劇従事者の労働時間が長いという点は、劇場の芸術監督をして成る程と思った事ですけれど、夜公演があるので、それが終わるまで帰れない人がいますよね。うまくシフトを組めれば良いのですけれど、仕組みはそこまで整っていません。なので、非常に長時間勤務をしなければならない人がいます。働きやすい環境を整えていくことは、芸術監督としてならすぐに出来る事もあります。例えば、何時までに稽古を終わらせる、とかでしょうか。KAATで演出した時には、稽古後に皆が都心の芝居のソワレ公演を見に行けるように、17時までに稽古を終わらせましょう、という雰囲気がありました。協会として考えた時には、業界へ向けて何か提言をまとめるとか、提案するとかになるのかもしれません。今後のトピックになり得る問題ではありますね。

演出家の生活を守る観点ではどうでしょうか。特に経済面ですが、劇作家協会などは脚本料の基準額を決めています。

演出料の問題ですね。以前協会でアンケートを取った時に、若手を中心に最低額を決めてくれという意見が出たことがありました。今もその話は続いています。でも、これが凄く難しいです。段階的に演出料を決めていくとしても、何を基準に段階分けするか。客席数で分けるとしても、例えばキャパ500人で線を引いたとして、500人の劇場と501人の劇場で、たった1人の違いなのに演出料が何十万も違うなんてことになったらおかしいですし、予算規模を基準にしたとしても、例えば総予算の5%と決めた場合、製作費が5億円の超商業演劇だったら演出料は2500万円になりますが、そんなギャラをくれるわけがない(笑)。助成金をとってない小劇場の公演、助成金をとっている総予算が1000~2000万くらいの公演、それ以上の商業公演、というような分け方が現実的かとは思っていますが、模索中です。

演出家の資格制度についてはどうでしょう。

免許制にするって事でしょうか?うーん、それはどうでしょう……。
ただ、演出家は何段階かの階層のようなものがあると思っています。だいたい最初は劇団を作って仲間とやる。大きな劇団の演出部に入る人もいるけれど。その仲間とやっている仕事が評価されて、ほかの小劇場とか中劇場とかの演出、つまり外の仕事をするようになるのが次の段階だと思います。外の仕事の大部分が中劇場以上になってようやく、ギリギリ生活ができるようになると思います。そこからもう一段階上がると、一般の人でも知っているようなレベルの演出家になっていきます。例えば、誰もが知ってるような有名な俳優とやったり、何万人のお客さんや何億円の製作費がある商業演劇ですね。文字にするとたったスリーステップですが、現実はもっと複雑で細かく階層が分かれ、紆余曲折しながらその階段を登っていくわけですが、実力さえあれば登れるというわけでもないと僕は思います。演出力とか芸術家としての発想の面白さとか、芸術的能力の高さだけだったら、一段目の食えないフェーズの中の人にそういうのを持っている人はいくらでもいるわけです。演出家としての能力が高いから上に行けるかって言ったら決してそうじゃない。それ以外の人間力とか、人とちゃんと応対ができるかとか、人を説得する言葉を持っているかとか、そういうことがとても大切で、それがなきゃ絶対上の段階には行けません。免許制度って事になると、何に対して免許を発行するのかっていう事になるじゃないですか。人間力とか、人がわかる言葉で論理立ててものを喋れるかとか、この人の言うことだったら実現してみたいと思わせる魅力があるとか、そういう事が大事だし、名だたるスターを説得していくとか、大プロデューサーを説得していくとかね。そこに対しては誰も評価なんか出来ないんじゃないですかね。実は、最初の一段目ではあまり必要ないんですよね、そういう能力って。なぜなら、気心知れた仲間とやることが多いから、言葉を尽くさなくても分かってもらえることが多い。でもここに落とし穴があって、言葉を尽くす必要がないから、言葉足らずになって感情的になってしまう。それがハラスメントに繋がっていく。論理が伴わず発想だけでやってると、こういう危険があると思います。日本で仕事をしてる実感としては、免許制度を導入するのはまだ難しいような気がします。

育成機関という考えはいかがでしょうか?

演出家の育成機関ですよね……。ありますよ。演出コースが座・高円寺のアカデミーにもありますけど、現状ではとりたてて、演出のノウハウを体系立ててロジカルに教えてはいません。だって、教えられます?演出?

確かに非常に難しいです。ただ、人がどうやってるのかは見たいですね。演出家は、演出助手とかをやらなければ、人の演出に接する機会がありませんから。

僕は、35歳まで俳優しかやってなかったから、色々な演出家の現場を見てるんです。蜷川幸雄さん、野田秀樹さん、木村光一さん、鐘下辰男さん。みなさんと俳優として関わったからこそ、演出家になりたての時に凄く役に立ちました。良い所取りができたって言う感じです。

かつて、さまざまな演出家がそれぞれのメソッド本を出していた時期もありましたが、近年はそういう著書が減っています。

多様過ぎますよね。多分、当時はまだまだ演劇がくっきりとジャンル分けされていて、アングラとか小劇場とかって、自分で自分のジャンル作れたんじゃないですかね。演劇のメソッドを作って、本を出せばある程度は需要があったんだろうけれど、今は多様すぎてちょっと分かんない。これからまた、そういう人が出てくるのかもしれないけれど。海外からダイレクトに本が入ってくる時代だからね。翻訳本を買った方が早いと思います。

協会の地域間交流についてはいかがでしょうか。

東京一極集中からいち早く脱却していった方が良いに決まっていて、何とか地域に演劇を根付かせて、行き来もして、日本列島のあちこちに演劇が盛んな街を沢山作りたいですよ。具体的にどういう風に交流していけば良いのかっていうのは、理事会に地方支部の方にも入っていただいて、その機会を模索しています。

例えば、総会を各支部持ち回りにするって案が出たとしたらいかがでしょう?

今はオンラインで参加出来ますからね。でも、せめて忘年会だけは対面に戻したいと思っています。オンラインだから参加できる人がいるって意見もあるんですけど、オンラインと対面ではそもそも全く「会う」という意味が違います。オンラインでは情報の交換しかできません。演劇は人と「会う」ことから始まる芸術です。コロナで発達したオンラインは、確かに情報の伝達ツールとしては優秀です。ですが、そこに人のぬくもりや実存感は伴いません。現状、オンライン開催で得られるメリットよりも、対面で得られていたものを失っていることの方が大きいと僕は思っています。オンラインでやる会も残して、100人規模で集まる会も復活したい。忘年会は、演出者協会に入った時に、最も入ってよかったと思ったくらい衝撃的な出来事でした。

《2018年12月 浪曼房にて》

恒例で撮影していた忘年会の写真を見ると、皆さんいい顔していますよね。

ね、本当にみんないい顔してます。これは生身の人間同士だからこその笑顔ですよね。対面の忘年会は復活させます。「忘年会部」でも作って。事務局の負担にならないように。

シライさんは韓国の作品をよく取り上げていると思いますが、アジアの国々と今の日本との文化における関係を、どう思いますか?

戦後もまもなく80年になりますけれど、特にアジアとの関わりにおいては、我々は加害者だっていうことを忘れないようにしないといけないと思います。日本に住んでいると自分達が加害者だったなんて言われるとショック受けるかもしれませんけど、アジアの人たちはそう思っている。まだまだ終わってないぞって思っています。僕は、韓国の人とよく話をするけれど、彼らはもう面と向かっては(占領時代のことを)言わないですよ、特に若い世代なんか。だから全然そういう事が無かったかのように付き合えるんですけど、何かの拍子に歴史の話になった時は、途端にギクシャクしますから、やっぱり気をつけないと。教育が違いますから、もともとのベースが違う。

日本の教育では逆にその「加害」の面を子どもたちに教えないようにしています。

僕個人でいえば、僕は演劇人でありアーティストですから、直接過去の行いを謝罪するとか日本の加害について話したりするんじゃなくて、作品でやっていきたいと思っています。だから日韓のことを題材にした作品には、加害者としての日本人を描く。もちろん、あの戦争で日本にも悲劇があったわけだけど、国際的にはそういう事を描いてもなかなか通用しない。アメリカに原爆の芝居を持っていくのはいいですよ、でもアジアでは受け入れられません。だって彼らの目線に立つと、原爆が戦争を終わらせたから、日本による侵略と占領の歴史から解放されたわけです。原爆の悲劇をアジアで僕らが訴えても、僕らが伝えたいようには伝わりません。僕らはそういう事を忘れちゃいけないんじゃないでしょうか。

昨年、シライさんが青年劇場で作られた「星をかすめる風」は、戦時中に福岡の刑務所で亡くなった韓国の詩人ユン・ドンジュ(尹東柱)が主人公ですよね。

これは、不思議な事が起こりまして。元々韓国の作家、イ・ジョンミョンさんが書いた小説を、僕が日本語の戯曲にして上演したら、その芝居を観た韓国の大学の先生が、僕の戯曲を韓国語に翻訳して、韓国で学生たちが上演したんです。その時、オンラインで学生達と対談したんですけど、「日本人にとってはあまり思い出したくない歴史の話を、どうして日本人のあなたがやるのですか?」ってすごく聞かれました。さっき言ったように、日本の加害の事を直接に話したり謝罪したりするんじゃなくて、作品でそのことを伝えていきたいんだって答えましたけど。ほかにもパク・ヨル(朴烈)の事もやったし、徳恵翁主のこともやったし、閔妃暗殺もやりました。そういう風に日本の加害の歴史と向き合っている日本人がいる事を知ってもらうことで、少しでも両国のもつれた糸がほどけたら、と思ってやってます。

最後に会員へのメッセージをお願いします。

高齢化やジェンダーバランスや、ある種のネガティブな言い方ばっかりしましたけれど、 基本的には明るく楽しい協会だと思っていますし、そういう協会を作っていきたいです。演劇って自分の内面と向き合っていくのが仕事ですから、気づくと閉ざされて、自分の世界に入ってしまう。でも、そうじゃなくて、開いていく。
他者とポジティブに繋がっていく事で、全体が盛り上がっていったりとか、自分の新たな発見につながったりすると思うんです。協会が、フラットに人と繋がれる場所になっていったらいいなと思います。目に見えない年功序列みたいなものや、権力主義みたいなものをなるべく排除して、表現でつながって行ける協会にしていきたいと思います。
ですので、どうかみなさん!!楽しくやっていきましょう!!

ありがとうございました。

聞き手: 広報部 冨士川正美・桒原秀一

\この記事をシェアする/

トップに戻る