若手演出家コンクール2022・公開審査会【審査コメント・レポート】
2023年3月5日(日)公開審査会を行った。担当した審査員は下記9名。
鵜山仁(文学座) 加藤ちか(舞台美術家) 鐘下辰男(演劇企画集団THE・カジラ) スズキ拓朗(CHAiroiPLIN) 弦巻啓太(弦巻楽団) 日澤雄介(劇団チョコレートケーキ) 山口宏子(朝日新聞記者) 流山児祥(日本演出者協会理事長) わかぎゑふ(玉造小劇店・リリパット・アーミーⅡ)
司会進行は実行委員長の大西一郎、採点進行は実行委員の小林七緒、西沢栄治が行った。 まず、各作品について審査員が討論形式で審査コメントを述べていった。各候補者と審査員のやりとりも交えながら、全作品について熱のこもった議論が行われた。そして、投票、各審査員が全候補者の順位に従って4点~1点の4段階評価で採点を行った。
【春陽漁介】(東京)
劇団5454
『宿りして』
脚本:春陽漁介
出演:榊木並 森島縁 窪田道聡 及川詩乃 高品雄基 岸田百波
作風は『心を守る脳の仕事』をコンセプトに、人々の心理を深く掘り下げたコメディー。
台詞と音楽が融合したポエトリーリー ディングを得意としている。
シンプルな舞台美術で描く世界観と、照明効果による展開スピードが強み。
日澤雄介 面白く拝見いたしました。見られているのだろうというからくり、発見、その設定は非常に面白かったと思った上で、これってどういう世界観なんだろう? 演出家がどこに軸足を置いていたのかなっていうのにとても興味がありました。見られている、舞台上の人達は、我々が生活している世界の人達なのか? それともお芝居を作って演じている舞台上の人達なのか? つまり、俳優として見られている事が分かっている人達なのかっていう、演出家の大きな方向性っていうものをどう捉えていたのかなっていうところが一つ疑問でした。 笑いの入れ方やテンポとかっていうのは非常に面白く見させていただいたんですが、この素舞台というか箱馬と平台っていう簡素な舞台は、なんでそうしたんですか? 逆に言うとこれってセットを凄く作り込んでも成立する舞台だと思うんですね。箱馬、平台っていう全く何も色を付けない舞台セットにした理由はありますか?
春陽漁介 優秀賞を頂いた時に副賞で10万円をいただいて、スタッフさんとキャスティングと美術を作ったっていう前提があると思うんです。もちろん持ち出しをすべき所でもあったと思うんですけど、僕は演出家コンクールが用意した10万円の方にこだわりたくて。その限り出来ること。自分達が持ち出しをしてまで作るべきものなのかっていうことも考えて色付けをしなかったっていうのは予算をとにかく削減するっていう意図がありました。
日澤雄介 ありがとうございます。で、演出としてあの本をいただいてそういうコンセプトを持ってやった時、あの美術って正解だと僕は思うんです。チープに作る事によって逆の良さを出していく。それが狙いだったと思うんですけど、そうした場合に、もう少し全体的な演出の細やかさというものがあっても良かったのかな。鵜山さんが照明の事を素敵だって仰ってたんですけど、僕は照明が入った時に、もう少し舞台上で何かが起こって欲しかったというか、何かをもらいたかったというか。なんでこんなにチープなセットにしたんだろうっていう所に引っかかるんです。その引っ掛かりが取れた時に「あっ! そっかそういう風なカラクリなのね」ってなるんですけども「ワッ! そう来たか!」みたいな驚きをね、もっとインパクトよくいただきたかったんですよね。この驚きの体験っていうのをもっと強く出すことが演出として出来たのではないか? そういう意味では作家としての春陽さんと、演出家としてのあなたの戦いとしては、作家の方が勝っちゃっているというんですか。そこが非常にもったいないと思いました。
あとは俳優さんの演技がひっくり返ってほしかった。舞台上の俳優さん達の演技が変わっていかなかったんですね。もう少し俳優の演技としてのひっくり返り、物の見方のひっくり返りみたいなものが色濃く出てくると、笑えて面白いだけの芝居ではなくて、もう一歩踏み込んだ、ドキッとするようなゾクッとするような、観客たちが見られてるのか見てるのか分からなくなるような状態っていうんですかね。チープに作ればチープに作るほど、演出家としては細かいところ、例えば明かりの入れ方とか俳優さんのお芝居だとかっていうところにもっと目を向けていただいて、よりよくお客さんに届けていく所がもっと見たかったなと思いました。
わかぎゑふ 楽しく拝見したんですけど、ちょっともったいなかったかなって。100分くらいの話にしたらもっと色んなことが詰め込めたんじゃないかなっていう想像がまず最初にあったのと、病気を・・・まぁ言うたら芝居の中で笑おうとするわけじゃないですか? そこが、もう一つひねられへん。もっとそこから脱することは出来ひんかったかなって凄く気になりました。私もコメディーを作っているから「そこ笑われへん、人を置いていくんちゃう? こんだけ客巻き込もうとしてるのに」っていう気持ちがどうしてもあって・・・。そこが気になったのと、もう一つはお客さんを巻き込むんやったら、お客さんがほんまに巻き込まれる瞬間がもう一つ欲しかった。お客さんもここ拍手せなこのシーンは終われへんのや・・・。みたいな、そういうお客さんに何かをやらせる仕掛けみたいなのがあったらもっと面白かったかなと思いました。でもよく出来たお芝居でした。
スズキ拓朗 凄く面白かったです。なるほど、こんな効果を軽やかに、且つ演劇とか色んなスタイルを否定するというか。凄く気持ちよかったです。SNSとかそういうのを気にしている現代人との親和性とかを感じましたし、次はどんな作品を書くんだろうって気になりました。ストーリーじゃなくて、役者の状態を見たいって僕は思っていて、そういう意味でも視覚じゃなくて聴覚を気にさせるとか役者さんの緊張感とか。そういう演出が上手だなと思いました。
確かに、ラストの観客とのやり取りが長いなって思ったんです。そんなに言わなくても分かっている。観客役を演じていた方にも、もう少し僕らの事を信じて欲しいなって思うくらい、そんなに話さなくていいっていうのと、主人公の女の人が面白いんですけど「これが暗転か」みたいなこと言っていたと思うんですけど、僕はここ好きなんですけど・・・でもあの台詞は、そこまで言わなくてもいいんじゃないか、サービスしすぎなんじゃないかなっていうのは感じました。笑えるけど、言わなくても面白いかな。創作中に作家と戦うのは役者でもあるような気がしていて「この台詞ってどうなんですかね」とか、そういうコミュニケーションをもっとしていたら、もっと劇団として素敵になるんじゃないかなって。劇団として、そういう風に戦っていけたらいいんじゃないかなって思いました。
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【西田悠哉】(京都)
劇団不労社
『生電波』
脚本:西田悠哉 永淵大河
出演:荷車ケンシロウ むらたちあき 永淵大河(以上、 劇団不労社)
大の
1993年東京都生まれ富山県育ち。
2015年に大阪大学在学時に代表として劇団不労社を旗揚げ
以後、ほとんどの作品で作・演出を務める。
関西演劇祭2021にてベスト演出賞受賞。青年団演出部所属。
山口宏子 一番パワフルな舞台だったと思います。まず、舞台上に俳優の肉体がある、そのライブの迫力が圧倒的でした。加えて、音響がとても優れていた。仕込み時間が短いなど条件が厳しい中、音を立体的に表現する工夫がなされていて、観客の後ろやサイドなど、いろいろな方向から、空間全体に音を響かせることによって、私たちの日常の中には、様々な情報や文化が飛び交っていることを体感させた。その表現が凄く力強く、かつ複雑で、他の作品にはない特長になっていたと思います。舞台装置は段ボールで、チープな感じに見せながら、状況をちゃんと伝えている所も良かった。そうした効果がまとまって観客に迫ってくることで、膨大な情報に日々さらされている自分は、情報を受信する器でしかないんじゃないかといった、この作品の「問い」がストレートに入ってくる。そこが非常に面白かったと思います。言いたいこと、表現したいことがはっきりしている良い作品だと思いました。ただ、やや不満に感じたのは、舞台の下の方が見えにくかったこと。私が座った中ほどの席では、前の観客の頭に遮られて、演技がよく見えない場面が少なくなかった。床に座る芝居が多いこともあって、特に気になりました。床の高さをどうするかという技術の問題だと思うのですが、そこを計算すると、見る側のストレスが減って、作品の良さがもっと伝わったと思います。
加藤ちか 私達は、プロの演出家の丁寧な仕事に対しても評価を持って拝見させていただいています。
この作品は、卓越した技術と個性が余りなく表現された空間でもなく、上手に出来ているわけではないけれど、個性に関しては観る側として押し切られる強さがありました。
電波という形のない物としての表現はどういう風に考えているかとか、それをどう表現をしようとしているかとか、何が起こっているかなど、それを伝える力の強さはあり、客席には伝わっていたため、荒削りな所も力として良しと考えられました。
「技術で伝える」のではなく、今持っている感性や自分の事を信じた表現がありました。
プロの音響を連れてくるわけでもなくて、現実に則して自分達に出せうる全ての力で作品の勝負をかけている様に感じました。
このような伸び伸びとした個性的な作品を、拝見する機会は中々なくなってきているので、作品力や個性として出し切れていた、いい作品だったと私は思います。
弦巻啓太 これがやりたいんだっていう思いが貫かれていて演出全体だったり、脚本だったり。非常にそういう意味で圧倒されました。それでいて音照明に関してはそんなに破綻もないというか、もっと破綻してもいい気もするんですけれど、そういう意味でもちゃんと計算されている気はしたんですね。
ただちょっと個人的に気になったのが、あの電波もうちょっと長く滞在したりとか、いっぱいいたりした方が良かったんじゃないかと思って、あの配置でスタートすると、隣の壁が舞台奥にあるという風になると、主人公の弟さんの方に移入していくというか、彼の物語だと思って受け止めて始まっていってしまって。その割、途中から個々人の話になっていって、視点がちょっとぐらつくというか、どこに自分を持っていっていいのかっていう部分が、俯瞰で見ていてくださいという事だったらそれはそれで良かったのかもしれないですけど、僕にはあんまり「中身空っぽだ」って言葉とかもそこまで響いてはこなくて。最初からそう言う人なんだなっていうのは分かるから、そこはなくてもいいんじゃないかなっていう気もしたりしました。
段ボールってあんまりうまくいってないように僕は思って、引っ越しの段ボールとそうじゃない段ボールの境界線をくっきりさせるか、あえてくっきりとはさせない事で何か侵食してきてる象徴にするとか、そういった使い方があったんじゃないかなっていう風に思います。もし引っ越しの段ボールなんですっていうんだったら、あの中に中身があるべきだし、そうじゃない受信機の方が空っぽなんですっていう風にするんだったら、うーんそうですね、同じに見えちゃうというか、引っ越しのものと。そこのラインで何か違いがあったんですか?
西田悠哉 そこはむしろ同じモノとして、見立てとして使ってる段ボールと、引っ越しの道具としての段ボールとが、あえて境界を分けずに混在している状況を作っていました。
見立てとして機能していたものが、最後にその持ってた意味が変わる、もしくは失うっていう所へ持っていきたかったので。舞台上の空間っていうのが、必ずしも現実的な確固たる場所ではなく、モノの見立てによってさまざまに意味づけされて侵食されているイメージだったので、曖昧なのは個人的にはあえて狙っていたというところです。
弦巻啓太 なるほど。僕には、こたつはちゃんと現前としてあるとか、銃はおもちゃだけど物として実際にあるという事が、うまく汲み取れなかったかなっていう気はしました。
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【ニノキノコスター】(愛知)
オレンヂスタ
『「サトくん」のこと。』
脚本:ニノキノコスター
出演: 二瓶翔輔 今津知也 伊藤文乃 暁月セリナ
小劇場の俳優が落語をやる会”小名古屋 落語会” 「ナゴヤはいゆう寄席」席亭
愛知淑徳大学 「ジェンダー・ダイバーシティ表現演習」 講師
アイドル演劇から人形劇まで幅広く手掛 けている。
「P新人賞2017」大賞・観客賞受賞。
流山児祥 面白かったですね。献花台から始まって、何の話なのかなぁって。テンポが良くて、最初フィギュアみたいなの使って、そんでぬいぐるみになって、次は野菜になって、包丁という駄目押しが出てくるっていう。今も何日に一度は無差別殺人が起きてるわけじゃないですか。その不安を日常にしちゃうとまずいんだけど、そうなっちゃった後の世界っていうのはガーンと出てきた。僕は山崎哲っていう男と一緒に芝居やっていたから、所謂犯罪劇ってものを日本で最初にやったから、それはある種の文学性を持ってるわけですよ。不条理演劇っていうテイストを取って出来てるのがやっぱり犯罪劇の主体なんです。犯罪劇ってある意味で抵抗の演劇だから、社会に対する抵抗として不条理を選んでいる。ニノさんは、犯罪の事を言ってるんじゃなくて物凄く身近な所で作り上げようとしてる。役者は、ニノさんの劇団の3人と、元オイスターズの二瓶君。あれがいい。本物に見えるもんね。サトくんに。3人の演技は全く違うんですよ。サトくんこんな人だったのかな、とか色んな事を想像しながら。最後の方になって、段々それが見えてきて。面白かったですね。それから、僕は北村想を20歳から知ってるから。北村想に似ているなーって。全く違うんだけど、やり方は全く違うんだけど、なんとなくそういう渇いた虚無感みたいなのが妙に見えてきて、僕は凄くワクワクして見ていましたね。不気味っていうのもある種の快感になってって、浄化していくシーンがやっぱり最後のフルーツの香りを嗅いだ時に、血の匂いも案外良いんじゃないのっていう。血のにおいとフルーツかぁ、いいなぁっと思って、妙にうっとりしてましたね。そういう面白い体験をさせてくれた。
鵜山仁 戯曲世界を重層的に語っていく為には、小道具というかオブジェというかそういう物との関わり方の変化を作り出す必要がある。つまり小道具っていうのは登場人物の1人だから、それと登場人物との関わり方が刻々と変化していく事が芝居を作る上での絶対条件だと思うんですけども、この芝居の場合は3分見ていると飽きちゃうんですよ。僕自身が貧乏性っていうか、若い頃ならもうちょっと身勝手な芝居の見方ができた気がするんだけど、とにかく目の前で変化っていうのが起きないとどうしようもない。扱ってる人と扱われてるオブジェとの関係が変わっていくという事がもっと出来るはずだとついつい思っちゃうんです。今回はいつもの人形扱いとはテイストが違うっていう話を聞いて、そうか、こういう風にノイズをストイックに排除して、この文体一本でいくっていう事でやってらっしゃるのかな、と。もっと自由で猥雑な「オブジェとの関係性」が見られると、戯曲世界が、直線的じゃなく立ち上がってくるんじゃないかなと。そこがもったいなかったと思いました。
鐘下辰男 僕はね、反対に非常に書ききれているというか、あれで十分だと思いましたね。そっちの方がより肉迫出来るんじゃないかなっていう風に個人的には思いました。単純に一番心動かされましたしね。大学なんかで「憲法って誰が守るんだ?」って聞くとほとんどの人間が「国民だ!」って言ってね、でも君達それって選挙権持っていて大丈夫か、みたいなことを考えると、それはもちろん彼らのせいじゃないんだろうけども、何かこの国おかしいよな、やっぱりっていうのはどこかあって、見ながらずっとそういう色んな事を考えていて、途中から「あーあの事件だ」って話になった時に、一番驚愕したのは、あれがもう既に忘れ去られてるんじゃないか? 世間一般的には。ああいう事件がもう情報化して、一つの情報として、どんどんどんどんリセットされて忘れられていく。そういうものになってしまっている。我々がこの現状に気づかされる。そういやあったなそういう事件、みたいなっていうところを揺さぶってくれただけでも、すごく良かったなというか。決してあの事件の事だけを考えてるんじゃなくてね。もっと色んな事が起きているはずなのに、もっと色んなものがあるはずなのに、それが全部情報化されていって。さっき消費って言ってたけれど、消費化されている。やっぱりこの国は何かおかしいんじゃないか、みたいな事を痛感させられました。ありがとうございました。
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【村田青葉】(岩手)
演劇ユニットせのび
『アーバン』
脚本:村田青葉
出演:石橋奈那子 大和田優羽 狩野瑞樹 新沼温斗 ほか
1994年生まれ。2016年に演劇ユニットせのびを旗揚げ。
「演劇は触媒であり、主役は観客である」という考えのもと、 記憶を題材に、シーン とシーンをコラージュしてシームレスに繋ぎ合わせた作品を創る。
かながわ短編演劇アワード2021 短編戯曲部門グランプリ。
日澤雄介 物語の始まり方と、終わり方。そこがパチーンと繋がった時にとてもいい観劇後感というか、村田さんが作りたい何かっていうのを感じられるのではないかと思ったんですね。で、じゃあそこにいけたのかと言われると、僕はやはりいけてないと思っていて。どうしていけなかったんだろうかって考えた時に一つ質問したいのですが、あの表現体を使いたい、やりたいっていう理由が、お客さんに想像していただきたい。自由に考えていただきたいからってことで間違いないですか?
村田青葉 自由にという言い方にすると、あまりにも手放した言い方かなと思ってしまいますが、お客さんもお客さんとして存在していて、僕らも僕らとして存在はしていて、提示もしていて、何か感じるものがあればっていうのがちょっとあります。
日澤雄介 その所謂アツい芝居みたいな、台詞は台詞でみたいなっていうのは単純に好みじゃない?
村田青葉 私の話なんですけども、強い言葉に気が弱ってしまうと言いますか。それをよく感じたのがSNSのリプライだとか、ネットニュースのコメントとかを見なくてもいいのについつい読んじゃって、なんでこの人達は言葉って、相手側も向こう側に人間がいるはずなのに言えるのって思った時に、僕が演劇やって、これがメッセージですっていう風にやるのも、ちょっと暴力的かもって思ってしまった事があって。最近の作劇ではあんまり強い言葉を使わなくなっているというのがあります。
日澤雄介 テキストもそうだし、俳優さんの表現としてもそうだし、っていう事ですよね。なるほど、分かりました。やっぱり演出は何かを伝えていかないといけない職業なので、言葉を強くすれば、お客さんは刺激を強く受け取れる。それは暴力にもなりかねないんですけども、一番手っ取り早いというか、簡単な方法だと思うんです。それを自ら封印するとなったとすると、逆にもっと繊細に言葉と向き合う必要があるかと。ご自身で書かれているわけですから、ご自身の書かれてる言葉と、トーンと、あとはその弱いながらも抑揚というかとボリュームというか、それとタイミングと。イメージを数珠つなぎで繋いでいくつなぎ目の所。そこを自由に想像してくださいではなくて、ある程度の想像のラインを引いてあげるというか。こういうルートで、おしりの所で頭とパチンと繋がりますみたいな。演出手法としては、もう一つ繊細さが・・・とても柔らかくてみんな超いい子なんですよ。変な話、無害なんだよね。みんな無害だからこそ、無害=無刺激じゃ駄目だよっていう風に僕は思っていて。その中でも何か刺激というか、面白もあればちょっとした憂いもあればっていう所のコントロールをしていくのが演出家だと思うので。ただ、村田さんがご自身で選んだこの手法をね、めちゃくちゃ磨いてほしいと思いました。僕にはない感性と、方法論を持っている方なので、是非とも頑張っていただきたいと思っております。
わかぎゑふ 私はビジュアル的に一番好きでした。線を引くとか、美術に対する視線は素晴らしかったと思うんですけど。でも、はっきり言って球を投げるぞっていうフリをして投げてこない子供がずーっと喋ってるみたいなそういう感覚に私はなりました。その子に付き合うのはどんな人、と思ったんですけど、それはもう明らかに1日だけ面倒を見てって言われた親戚のお兄ちゃんか、いい人でないとこの子の面倒は見切れんっていう、それが観客なんですよね。で、お金をもらったら或いは見てあげるかもしれないっていうことなのね。でもお金を払ってくれてる人に対して、投げるよって言いながら投げない球がずーっと続くと、それは逆に暴力だと私は思う。それを自分は意図してないと思いますけども、優しすぎるのも暴力なので、一球でいいから投げて欲しいって思いました。とても才能があるのにどうしてこっちに来ないっていう驚きがとてもありました。だけどそれは多分年齢もあるだろうし、今自分の発展途上の中の段階なんだろうけども、やっぱりお客さんっていうのはあなたと向き合いたいし、お金を払ったからには投げ込まれたボールを自分が投げ返したいっていうのがお客さんの気持ちだと思うので。だからそれを今後また考えていただきたいと思います。
スズキ拓朗 紐をキーって、急ブレーキみたいになるのすっごい面白かったです。ダンス的に言うと、空間全部動きましたもん。だからすっごい上手だなって思って。僕は技術としてすっごい面白いものを扱ってるなと思っていて、シームレスって書いてあるし、まんまやりたいことは多分出来てるんですよね。全然嘘ついてないっていうか、演出として共感も出来ました。ああいうこと抱えながら生きてますよねっていう。その一線を越えないのが悲しいじゃないですかっていう一線とか線っていう意味を物凄い表現しているなって思っていて。だからこそもっと欲しいなって。俺、こいつら死んだなって思ったんですよ。この4人は多分車内で殺されたんだなって思ったんです。勝手に・・・。例えばハサミを持った人が現れて線を切るとか、あそこまで効果的に使ってる線を、最後に使わないのはもったいないなって思ったので、もっと小さい動きを拡大していいんじゃないかなって思いました。やってることはもうゴールを知っているんじゃないですかね。次に行っていいような気がします。
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審査結果
開票の結果は次のとおりとなった。
取材・文責 広報部 部長 桒原秀一