若手演出家コンクール2020
優秀賞受賞者インタビュー〈広報部〉
伏木啓
伏木啓『The Other Side -Mar.2021』
―― 応募のきっかけは?
伏 木
2020年の秋に、愛知や京都で公演を予定していたのですが、コロナ禍のなかで、延期も視野に入れなければならなくなり、どうしようかと思っていたところ、SNSを通じてこのコンクールを知りました。今年(2020年)は作品を実施するのが難しくなりそうだと思っていたところだったので、むしろコンクールは良い機会かもしれないと思ったのがきっかけです。もともと、劇場を主とする舞台作品というよりも、かつて工場だった所やパブリックな空間など、特定の機能を持った場を活用したサイトスペシフィックなパフォーマンスや映像インスタレーションを主として制作してきたため、どこでも再演/再展示できるような持ち運び可能な作品ではなかったんですね。そのため、企画コンペディションや助成などに応募することはあっても、作品自体をコンクールやコンペティションに出品するという発想にはならなかったのですが、ちょうど2019年の秋に実施した作品が、久しぶりに劇場を使用した舞台作品だったため、コンクールへの応募を可能とする作品があったというのも理由の一つです。
―― パフォーマンスにおいて先にテーマがあるのか、それとも身体があるのか、それとも映像が先にあるのか、ストーリーなのか、どこが先行してますか?
伏 木
僕は「非線形性」って言ってるんですが、線形的な矢印のように、順序立てた感覚ではない、細切れで同時にいろいろな事が重なっているような、記憶を含む時間意識のあり方というのを、ずっとテーマにしてきました。パフォーマンスとしても映像インスタレーションとしても、10年以上そのようなテーマを扱ってきたので、そういう意味ではテーマがまずあるのかなと思います。ただ同時にやはりパフォーマンスや舞台のライブ性として、目の前で起きている状況そのものを提示するという魅力がありますよね。身体が目の前にあるというのは圧倒的で、いま、眼前に「存在している」、「何かが起きている」というのを提示できます。インスタレーションよりもパフォーマンスの方がそういう点では面白いと思っています。そういう意味では、「身体」がまずある、とも言えると思います。
―― 今回の作品でプロジェクターを使って映像を映し出していて、先ほど非線形という話がありましたが、実際に舞台上で起きていることとそれを撮影した映像が徐々にズレてきたり、画面がパッパッと切り替わったりしていますが、それは先ほど仰ったモチーフを表現するためにやっていることですか?
伏 木
そうですね、目の前で起きていることって何となく線形的に流れているような感じがあると思うんですけど、意識としては、目の前のものを見ているだけでなく、ふと何かを想起したりと、様々な時間を行き来するような感覚だと思います。作品内の映像は、記録として少し前の状況を映し出しているわけですが、過去が鮮明にフラッシュバックした時のように、目の前に突然立ち上がったものとしても見せてもいます。それと、時間としてだけではなく、先ほどお話した目の前の「身体」ということとも関係するのですが、現在における「現前性」とは何かということを提示する試みでもあります。コロナ禍におけるZoom等の映像によるコミュニケーションが象徴するように、かつての映像は記録としての「過去」を表象するものだったかもしれませんが、現在は、むしろ「いま」を表象するものでもあります。もう20年前になりますが、2001年にニューヨークで起きた「September 11」のとき、そのことを強く感じました。あの時、確か「同時多発テロ」という言葉が使われましたが、自宅のリビングのTVで、日常の延長線上で見ていたあの映像は、さまざまな現実が同時多発的に重なったような感覚となりました。思い起こせば、1985年の日本航空123便の事故の報道の時も、幼いながら似たような経験をしたように思います。家族で集って食事をしている最中に、報道では、飛行機が墜落し行方不明者の名前が映し出される。身のまわりの現実と、映像としての現実が、異なるレイヤーとして重なり合うような感覚がありました。2000年以降は、ネット環境の飛躍的な進歩によって誰もが映像を配信できるようになり、映像を介したライブ性というのが、まさに同時多発的に生じるようになっています。そして、現在のコロナ禍は、その状況を加速させました。
―― 映像はリアルタイムで撮影しながら投影しているのか、それとも録画ですか?
伏 木
舞台上でリスクがないのは前もって撮っておくことなのですが、それだと作品のコンセプトが薄まってしまうように思え、かなりリスクはあるのですが、映像も声(言葉)も、常にその場で録って、コンピュータを介しリアルタイムに反復させています。例え、同じ動きや言葉であっても、その場で実際に行ったものが数秒後に繰り返されるのか、事前に収録したものが再生されるのかで、その場に立ち上がるものが決定的に違うと思っています。
―― キャストやスタッフとどうやってイメージの共有をしていますか?
伏 木
20代の頃は言葉で説明したりディスカッションしたりというのを意識的にやっていたのですが、最近は、言葉で何かを共有するというよりも、その場で実験してみるようにしています。もちろん、前提となるコンセプトは、一応は共有しますが、コンセプトがそのまま作品になるということではないので、目の前で立ち上がったものを見て、それをまた言語化していくというプロセスを繰り返しています。言語が先にあると窮屈になるので、その場でセッションを繰り返しながら作っていく感じです。台本になる前の僕のイメージやラフなメモをもとに、まずは、身体を動かしたり、音楽を奏でたりというのを、その場で実際にやってみて調整し、それを踏まえ台本化して、また実際に動いてみるということを繰り返しています。
―― 今後の予定は?
伏 木
昨年延期になった公演が9月に京都であります。(9月9日〜12日頃 / 京都芸術センター)それに向けて、今回の作品『The Other Side』をより良くしたいと思っています。一方で、『The Other Side』をやりながら、そこから零れ落ちてきたもので新しいプロジェクトをはじめたいとも考えています。いずれにせよ、作品は発表する場所や、観賞いただく方々との関係で変化していくため、国内だけでなく、海外でも上演する機会を見出したいと思っています。
(今後の伏木の活動に関しては、こちらをご覧ください:https://fushikikei.tumblr.com/)
聞き手 野月敦 (日本演出者協会 / 広報部)