コミュニケーションの要塞

コラム

 私は子供の頃、幼稚園のお遊戯会や、小学校の学芸会、中学校の文化祭、クラスの友人と演劇を作る時間の中で、演劇の面白さを知りました。そしてテレビで放映された全国高校演劇大会の最優秀賞受賞作品『破稿 銀河鉄道の夜』に強く胸を打たれ、高校生になったら演劇部に入ろうと心に決めました。

 『破稿 銀河鉄道の夜』というのは、神戸高校の作品で、阪神淡路大震災で友人を失った演劇部員の話でした。中学3年生の時、私のクラスにはたくさんの転校生が来ました。学校近くの空き地に仮設住宅が建ち並び、神戸からの転校生が1クラスに対し複数名やって来たのです。私はその中のひとりの女の子と友達になったのですが、どんなに仲良くなっても、震災の話だけはできませんでした。もしも私が何か質問していたら、彼女は何か話してくれたかもしれません。でも、とても質問できませんでした。悲しいことを思い出させ、傷つけてしまいそうで怖かったからです。神戸高校の作品は、そんな私に、震災で大切な人や物を失った悲しみを、そっと教えてくれました。幽霊になって語る女の子、その親友の女の子のセリフから、人生を失った孤独を知り、友人を失った孤独を知り、癒しがたい悲しみを知り、テレビの前で涙に暮れました。

 最近私は演劇の持つコミュニケーションの力について考えています。今年の夏、沖縄に1ヶ月滞在し、演劇をつくるために取材をしていました。あちこちウロウロと歩き回るうちに、いくつかの事件や事故が起き、そのほとんどが米軍基地に関係していて、それに対する集会が開かれていました。おそるおそる集会に参加してみた日、沖縄の現地で起きていることが、東京にまでは詳細に伝わっていないのだという現実がはっきりと見えてきて、愕然としました。沖縄だけでなくどの地域にもそういうことがあるのだと思いますが、新聞やテレビ、インターネットなどのニュース、SNS、高速で大量に行き交う情報の渦の中にいても、本当のことは何も分っていなかったのかもしれない、と愕然としたのです。

 演劇の情報伝達速度は、恐るべき遅々たるものですが、一つの物事をじっくり掬い上げる時間のゆとりがあります。速度から守られた場所と言えるのかもしれない。簡潔に伝えることの困難な問題を伝えることができる場所なのかもしれない。劇場で語り合いたいことが、山のようにある現代だなと思います。

五戸真理枝

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